原稿

原稿

「マトリックスの真実」「おカネの真実」「空前絶後の社会運動」「志の世界」「大震災の前線」「右傾化選挙の中で」
世の中の根本的な仕組み、神とは、支配とは、おカネとは、社会とは、人間とは、・・・根源から、そして、前線から、書きました。
読んで面白いと思った方は、どんどん転送やコピー配布をして頂ければ幸いです。


2011/12/24

3月17日のレポート


配達完了

広島に原爆が落ちた時、放射能汚染のために、数十年は人が住めないだろうと言われていました。それでも、愛する土地に残って、またたく間に復興させてしまった人間というのは、本当に凄いし、素晴らしいと思います。
 
 今回、女川町の避難所で一緒の部屋で寝た隅田翔さんは、千葉県出身で、プロのサッカー選手目指して女川町のクラブチームに入りながら、ここの水産会社で働いていました。今は、サッカーは引退して子供達のコーチをしているそうです。とても、いい若者で、水産会社は、壊れてしまったので、石山さんが、秋田で一緒に米づくりしないかとスカウトしました。
「結局、米があれば生きていけるんですよね。」って興味を示しながらも、隅田さんは、ここに残って復興の手助けをしたいと言います。ほんと、故郷でもないのに、頭が下がります。まだ生きてること親に連絡できてないっていうので、私がそれを引き受けました。

 人間の行動動機はつきつめるとたった二つしかないと言います。愛か恐れかです。
支配する人は、支配を強めるために、あらゆる方法を使って、人の恐れを増幅しようとします。その最大のポイントは、死と恐怖を結びつけることです。でも、これって、ただの刷り込みに過ぎません。

そもそも、死って、なぜ怖いんですか?
よーく、考えてみてください()
どんなに美辞麗句で覆い隠しても、あなたの恐れや不安は、丸見えなんです。

福島原発の放射能汚染が怖くて逃げたい人は、どうぞ、逃げてください。そして、もう帰ってこなくていいよ。() いつも平気でレントゲンとったり、添加物だらけの食べもの食べたりしてるのに、原発にジタバタするの不思議だな。()

私にも、有難いことに、逃げろというメール、何通も来ました。女川と福島、勘違いしてんのかなとも思います。お言葉ですが、私は逃げずに、最前線に立ちます。それが私の人生です。自分を裏切るくらいだったら、死を選びます。

昨日、大原中学校に避難している人達に、暖かい布団で寝て欲しいと思って、雪のつもった夜のコバルトラインをかなり飛ばして向かいました。もうすぐ到着と思って、仲間の喜ぶ顔を思い描いていると、突然、「通行止め」の看板が・・・・

もう、絶望感です。
こんな吹雪の中、大原中学校は陸の孤島になってしまった。もう、会えない・・・。

打ちひしがれて、コバルトラインを戻って、入口にある女川町第一保育所に行きました。そこに、米を数十キロあげて、泊めてもらうことにしました。250人程避難しているところですが、記帳のために、訪問者のリストをみると、上に、山口県の人がいます。いったい、どうやってきたんだろ?世の中、本当に捨てたもんじゃないです。

朝になると、掃除が始まり、ラジオ体操の音楽が流れます。女性達は、テキパキと食事を作り出します。厳しい状況の中でも、いい雰囲気です。

私は、だらだらグループになって、ここの水産会社で働いていた中国人の安さんから、お茶頂いて、拾ってきた缶詰を御馳走になりました。どこの避難所でも、ないないづくしの中、最大のおもてなしをしてくれます。それだけ、助けに来てくれるのが嬉しいんだと思います。

石山さんは、隅田さんに案内されて、友人を探しに行きました。そして、無事にあえて、嬉しそうに戻ってきました。

それから、もう一度、大原中学校を目指すことにしました。昨日、通行止めだったのは、夜間の危険防止のためかも知れないからです。

もう一度、通行止めの地点まで行きました。でも、やっぱり解除はされてませんでした。そこにいた工事業者の人に聞いたら、昨日、土砂崩れが発生したとのことでした。でも、その代わりでもないですが、海沿いの道路が復旧したということをおしえてくれました。

そして、一日遅れちゃったけど、無事に大原中学校に到着しました。

「えーーー、佐々木さん、また来てくれた!!」
「自衛隊、何かもってきた?」
「昨日は、毛布を多めにくれたよ。」
「でも、俺は、敷布団もってきたよ。」
「わーーーー、一番寒い時に一緒に寝たもんね」

急いで皆で運び出します。防寒になりそうな服も、石山さんや黒瀬さんがあわててみつくろって入れてくれましたが、女性や子供達が、嬉しそうに試着し出します。普通、災害地に古着を送ると、実際は迷惑がられるのですが、今回ばかりは違います。

彼らは、お返しにと言って、破壊された養殖場からもってきた見事なアワビをくれました。物々交換の世界は楽しいです。今晩の酒の肴にします。テレビで、「邪魔になるから行くな」とコメントしてるNPO関係者って、可哀そうだなって思います。真心には、真心が返ってくるのは、当たり前のことです。

それから、この間お世話になった渡波の消防団の鈴木巻生さんのところに行きました。石巻生まれの巻生さんです。自治体からの配給は、少しよくなって一日おにぎり一個になったと言ってました。顔は完全にやつれて、それでも、ガレキの撤去作業を黙々とやってます。米をかなり大量に差し上げたら、涙ぐんでいました。

帰り道、石山さんは、「こんな貴重な体験は、人生で滅多にない」と言ってます。
神戸で震災にあった私の友人は、かつてこんな風に言ってました。
「不謹慎なんですけど、実は、あの時が人生で一番充実してて、楽しかった。」

皆さんも、どうぞ、現場に行ってください。得難いものが得られます。

2011/11/26

国と国の共生


 一年くらい前、御徒町のスタバで金鋒博士としゃべったことを原稿化したもの、アップします。尖閣で騒いでいた頃のことです。考えてみれば、NS乳酸菌を始めた頃も、冷凍ぎょうざ事件で揺れていて、商品化がたいへんでした。


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(佐々木)
日中関係がよくないことに、私はとても心を痛めています。博士と一緒に事業やってから、もう二年になりますが、実は、この間、契約書すら満足にかわしていないのに、トラブルが一度もないんです。この間、目先の利益のために、私との約束破って、結果、関係を絶った日本企業が、何社あったかを考えると、本当に、あきれてしまいます。国民性の問題なんて存在しないって私は思います。

(金)
あの島には、誰も人が住んでいないんだから、誰のものとか主張しないで、皆で魚とればいいんですよ。鄧小平が訪日した際、尖閣列島の問題についてこういいました。「私達は、賢くないのでこの問題を解決できません。しかし、私達の子孫はより賢いでしょうから、きっと解決してくれるでしょう。」そう言って、問題を棚上げしてしまったのです。これは、とても賢明なやり方です。今、交渉して譲歩したら、どちらの国の政治家もメディアからとても批判されます。だから、解決しないのが一番いいのです。冷却期間をおけば、やがて穏やかに話しをすることができるようになります。興奮状態だと、相手のいいところは見えません。悪いところしか見えないと正しい判断力がなくなります。何十年も、問題にならなかったのに、何故、今、突然、問題にするんでしょう。そうする必要はないです。

私は、武力も戦争も一切、反対です。共生のために話し合いをすればいいんです。

  資源が足りないからと言って、武力で奪うというアメリカのようなやり方には同意しません。石油のために、アフガニスタン、イラク、そしてイランと争うアメリカのやり方は最低です。

 たとえ、武力で一時的に勝ったとしても、その後、永遠に負けます。イギリスもフランスも、武力で、どんどん国を大きくしたけど、結局、もとの大きさにもどりました。その後、ドイツや日本も同じことになりました。そして、最後に、広島や沖縄の人のように、とてもつらい目に会うことになってしまいます。悪いのはリーダー達なのに、ひどい目にあうのは、国民です。

 デモで、他人のものを破壊するのは、本当によくないことです。日本の商品壊したかったら、自分で買ってやればいいんです。誰もそういうことをしない。

(佐々木)
 博士は、日本で学位をとっているので、前回の小泉さんの靖国訪問の時でも、難しい立場だったと聞きました。

(金)
 「日本製のパソコン捨てろ」と言われたので、「じゃあ、あなたも、家の日本製のテレビ捨てなさい。パソコンの中の日本製のチップも」と切り返したら、何も言わなくなりました。以前は、学位を捨てろと言われたので、じゃあ、日本語捨てろと言いました。政治という言葉も、経済、科学、共産党という言葉まで、実は、日本でできた単語を中国が輸入して使っています。日本語捨てると、人民日報もほとんど読めなくなるんです。

(佐々木)
感情的に、国どうしの排斥運動をするというのは、つくづく愚かしいと思います。そういうことがエスカレートして、戦争が起こったら、困るのは、国民なんだから。

(金)
武器をもたないのが一番大事です。武器をもたずに喧嘩したら、死ぬことは滅多にないけど、武器をもった途端、危険になります。銃をもったら、撃たないと殺される可能性が高くなります。あなたを殺さないと私が死ぬという状況がすぐにうまれてしまいます。
この間、日本のホテルでテレビを見ていたら、素晴らしい番組をやっていました。ある村の土地を企業が買いました。ところが、その土地の利用目的は、「戦争ゲーム」だったんです。それを知った住民たちは反対運動を始めました。インタビューを受けたお年寄りの言葉は素晴らしかった。「私達は、子孫に銃を忘れて欲しいんです」と言っていました。まさに、ガンジーのような人、英雄だと思います。結局、地域の人がほとんど反対したので、企業はあきらめました。インタビューした人は、「ただのゲームですよ、テレビゲームで人を殺しているより、体を動かした方が健康的でしょう。」と言ってましたが、違います。殺人、戦争は駄目です。運動のやり方は他にいくらでもあります。中国で同じことが起こったら、村の収入になると言って賛成する人ばっかりだと思います。私は、感動したので、中国に帰って、この話をいろんな人にしています。学者にも、学生にも。
武力で強くなる必要はないのです。これはバクテリアの世界も一緒です。ピロリ菌を殺すために抗生物質のめば他の菌も破壊します。ピロリ菌なくなっても、糖尿病になるかもしれない。でも、乳酸菌を飲めば、他の物は、破壊しないんです。国の問題も一緒です。

(佐々木)
日本でなぜ、戦国時代がおこったのか突き詰めれば、ポルトガル人が鉄砲もってきたからといっても間違いじゃないです。その後、日本を統一した徳川家康は、日本から鉄砲をなくしてしまったんですね。だから、日本に長い平和が訪れました。これは、本当に大事なことです。

(金)
万が一、武器をもたない人を武器で襲ったら、それは、犯罪になります。武器をもたなかったら警察と喧嘩してもこわくありません。それでいいのです。もたないのが、一番安全なのです。ガンジーは今でも、世界中で尊敬されていますが、ヒトラーやスターリンを尊敬する人はいません。最近、日本がアメリカとの同盟関係の中で、武器を輸出することに合意したと中国で報道されました。最初は防衛のためと言って武器をつくっても、やがて、お金のために、それを売るようになります。これは、米つくるよりお金になると言って、アヘンつくるのと変わらないです。

また、尖閣の事件の後、福島県で、中国人観光客の乗った観光バスがたくさんの日本人に取り囲まれて、抗議行動されたのが中国のテレビで報道されたんですが、それ以来、中国から、日本には、観光客がほとんど行かなくなってしまいました。

(佐々木)
マスメディアはいつも、自分達に都合がいいように、相手の悪いところだけ報道するから、本当に気をつけないといけないです。東大の卒業式で総代を務めた博士は、誰がみてもエリートだと思いますが、中国の指導者層でこうした平和と共生の思想をもっている人がいるということを私は一人でも多くの日本人に知ってもらいたいんです。

(金)
この間、一緒に沖縄の平和祈念公園に行きましたけど、あそこに書かれていた平和の言葉は本当に素晴らしくて、感動しました。あんなすばらしい文章、今まで、見たことがないくらいでした。

(佐々木)
博士のお兄さんは、日本でいえば次官クラスにあたる中国政府の要職にいた方ですが、そのお兄さんのたってのリクエストで、みんなで平和祈念公園に行ったんですね。お兄さんは、あまり脚の具合がよくないんだけど、それでも、うだる猛暑の中、広い公園をさんざん歩き回って、日本の戦没者に祈りを捧げていました。私はそれに感動を覚えました。ちょうどその数日前、日本の官房副長官が、沖縄県知事を訪問して、日米合意を守って欲しいと要望したと報道されていて、私は、ほんとに情けない気持ちになりました。私は、民主党時代、副長官と同じグループにいて、個人的には、ずいぶんお世話にもなったんですけど、今では、本当に、ため息しかでません。

(金)
アメリカは日本をコントロールしたいから同盟を結んでいるだけで、実際に日本を守るわけはないと思います。日本はトラですからね。歴史上、小さい国から大きな国に戦争を仕掛けたのは、日本だけでしょう。中国、ロシア、それからアメリカですよね。トラは、檻の中に入れる必要がありますから。中国人は、比較的知識のない人は、アメリカが好きですが、知識層には、アメリカ嫌いが多いんです。

(佐々木)
なるほど。でも、日本は、戦争の反省の上にたって憲法で戦争しないと決めているわけだから、もうやらないですよ。とは言え、憲法を変えて戦争できるようにすべきだと考える国会議員が、今では、圧倒的に多いので、テロのひとつでも起こったら、いつでも、憲法を変えられる状態です。
長い歴史を素直な視点でみると、支配者の一貫した意図は人口を減らすということだと言えると思います。大きな不況で、失業者があふれたところで、国の対立をつくって、そういう人達を戦場に送って、殺し合いをさせる。今は、まさに日本がアジア進出した時代の空気と似ていると思います。被害を受けるのはいつも普通の人達だから、政府やマスメディアが対立を煽っても、感情的になって、それにのってはいけないです。不況がひどくなったら、途端に、国境紛争がいくつも起き出しました。これは、本当に危ない信号です。

(金)
私が最初に日本に留学したのは、一九八七年ですが、それまでの日本の政治家は素晴らしかったと思います。軍事はやらずに、経済の発展を目指して、戦後の貧しい国から、あっという間に、世界一の経済大国になりました。今、日本は、経済が駄目で、政治家は目標を示せないから、隣国と問題を起こして、愛国者のふりをして、国民のナショナリズムをかきたてています。これは、本当によくない姿勢です。

中国は、いろんな国と国境を接していて、常に、そこでトラブルが起こります。でも、そこで軍が関与したら、国と国の問題になってしまうので、決して軍は関与しないで、民間どうしに解決をまかせます。隣国との国境の画定も、時間かけて、話しあって、できるだけ、分かりやすい国境線を引いてきました。
そもそも戦争が起こると、国境線が変わるのだから、それ以前の領土のことを言っても、意味がないのです。沖縄だって、昔は、中国に税金を払っていた時代もあるし、そもそもアメリカが沖縄を返還しなかったら、尖閣の問題も存在しないのです。国境の小さなトラブルをわざわざ大きくする必要はないのです。それは、経験が足りないのかも知れません。

(金)
私は、いつも日本と中国を行ったり来たりしているので、よく、中国でこういう質問をされます。「日本人は中国人嫌いですか?中国と戦争したいんですか?」
私は、こう、答えます。
「今までは決してそんなことはありませんでした。日本に行くと、とても安全な国だという印象をもちます。街の中では、警察の数が少ないんです。軍人は一人も見かけません。つまり、銃をもっている人をほとんど見ないんです。戦争が好きな国には見えません。ときどき、デモをやってるのを見かけますが、あれは自由な国だからでしょう。」

(佐々木)
日本は、デモに参加する人が本当に少ないんです。特にヨーロッパだと社会問題が起こると、すぐに何十万人も集まって、大規模なデモになりますが、日本じゃそういうことがほとんどない。

(金)
日本人は、イライラして興奮している人が少ないと思います。もし、中国で自由にデモをやらせたら、きっと共産党の悪口を言う人が多いんだろうと思います。
北朝鮮の問題でも、穏やかに話せばいいのです。そして経済支援すればいい。トップの政治指導者は、決して謝罪はできないのだから、謝罪しろというのは、無意味です。中国の諺に、「牛に琴を弾く」というものがありますが、まさにそれです。人間は、極度に貧困状態に陥ると、死んでも怖くなくなります。そういう人達と喧嘩してはいけないです。アメリカが中東で戦争してもうまくいかないのは、豊かな人は、戦争に行きたくないからでしょう。経済力のある国の人は、政府に戦争に行けと言われても、行きたがらないのです。朝鮮の人も、日本のおにぎりを食べたら、誰も、戦争する気にならないでしょう。

(佐々木)
今、世界中で景気が悪くて、失業者がどんどん増え出しています。でも、恐慌で仕事を失った人達を戦場に送り出して殺し合いをさせるという歴史のパターンは、もう、繰り返してはいけないんです。

(金)
中国と日本は、民族のDNAということであれば、ほとんど区別ができないくらいですが、文化もとても近いんです。どちらも漢字を使うし、日本人がお寺に参拝にいくように、中国でも同じことをします。私と同じような考えをもつ中国人も、決してすくなくないのです。

(佐々木)
中国では、宗教はどうなんですか?

(金)
文化大革命の時代は、宗教はただの迷信だとして、禁止されていましたが、今、仏教もキリスト教も信者の数が増えています。

(佐々木)
なるほど、私たちは、ほとんど同じDNAをもっているだけじゃなく、同じ文化ももっているということを、今は、本当に、深く認識する必要があります。そういう時代ですね。

2011/10/05

ガンジー


最近、私を研究対象にしてくださっていると言う方がチラホラいて、何とまぁと思ってしまいますが、その時間をどうぞ、ガンジーにあててください。これから、とっても大事です。

1982年に公開された映画「ガンディー」のラストで、こんなシーンがあります。
ミラベンが、激化するヒンドゥーとイスラムの紛争を止めるために断食をするガンディーに語りかけます。
「バプー。戦いは終わりました。騒ぎは収まったのです。」
「老人の命を救うためのウソならやめてくれ。」
「いいえ どこの寺やモクスでも人々は誓いました。戦うくらいなら死ぬと」
「全国すべて」
「マウラナ オレンジジュースを 二人で一切れのパンを食べよう」

人類の進化って、突き詰めるとこれしかないと思います。今から65年前のインドで、民がこういう選択をしているということを、私たちは、再認識すべきですし、本当の「革命」って、まさにれでしょう。

ついでに、以下、ガンジーの名言録

・幸福とは、考えること、言うこと、することが調和している状態である。
・私は人格をすべて表現するために自由を望む。
・間違いを犯す自由が含まれていないのであれば、自由は持つに値しない。
・弱者は決して許すことができない。許しとは強者の態度である。
・人間性に対する信頼を失ってはならない。人間性とは大海である。仮に大海の一滴が汚れていたとしても、大海そのものが汚くなるわけではない。
・みたいと思う世界の変化に、あなた自身がなりなさい。
・行動の最中には静寂を、そして休息においては活気を学ばなくてはならない。
・土を耕すのを忘れるということは、自分自身を忘れることだ。
・報酬を求めない奉仕は、他人を幸福にするのみならず、我々自身をも幸福にする。
・尊厳を保つためには金は必ずしも必要ではない。
・精神性の最大の要素は「恐れない心」である。恐怖は精神を蝕む
・恐怖に屈すれば、真実さえも抹殺されてしまう。自らが正しいと信ずることを恐れずに実行する。
・臆病者は数の力を喜ぶ。しかし、勇敢なる精神をもつ者は、一人戦うことを誇りとする。
・偉大な人は常に一人立つ。
・もし、一人が最高の愛を成就するならば、それは、百万の憎悪を消すのに十分である。
・物事は、初めはきまって少数の人によって、ときにはただ一人で始められるものである。
・私の生き様こそ、私が伝えたい物である。
・死ぬ覚悟が出来ていれば、人は自由に生きられる。
・非暴力が人間の理法であるならば、未来は女性とともにある。

2011/09/25

小さな革命



今から一年前、稲刈り作業をしている従兄と話していると、こういいました。
「収穫に、何の喜びもない。」
去年の秋田の作は、本当に悪く、さらに、米価も最低でした。

今年、まだ収穫してないのに、来年はああしたい、こうしたいと、私に熱く語ります。初めて挑んだ無肥料無農薬、大成功と言っていいです。それでも、反省点や改良点がいっぱいあって、来年は、もっとよくしたい、そして、もっと作りたい・・・。

最近、幼なじみから電話が来ました。私たちの田んぼの前をたまたま通りかかったので見てみたら、出来が素晴らしかったと言うのです。私は彼が大好きで、今回も一緒にやらないかと誘ったんですが、過去、無農薬で大失敗した経験があって、怖くて一緒にやれませんでした。でも、来年は違うかもしれません。

従兄は、若い頃、うちの親父の借金と田んぼを全部引き受けて、ずいぶん、苦労しました。そして、彼らは、負けると分かっている私の選挙にも、何も言わずに、全力で付き合ってくれました。これは、村社会では、本当にたいへんなことです。

彼らに恩返しをして、故郷を興すために、私は正攻法を選びました。最高の米つくって、直接消費者に届ける。

まだ、米ありますから、ぜひ、食べてください。
http://inochinokate.netからお申込できます。


もう、経済崩壊は、いつ起こってもおかしくないです。
その時、一番大事なのは、米です。
あらゆる穀物の中で、単位面積当たりの収量が一番大きく、何千年でも同じ場所で作ることができ、味が素晴らしいので加工しなくても、そのまま食べられる。

いよいよ、稲刈りです。

 私は、子供の頃無くしたもの、ようやく、取り戻すことができました。

2011/09/22

現代版昭和神聖会をつくろう


昨日、「現代版昭和神聖会をつくろう」という小文をまとめました。ご一読ください。にんげんクラブ会報誌の来月号にのります。来週から、会議が始まります。
いよいよ本番ですかね・・・。

http://briefcase.yahoo.co.jp/bc/sasaki_shigehito 

2011/09/16

昭和神聖会


昨日、メキキの会の「王仁魂復活プロジェクト」に行って、ショートスピーチしました。
「王仁三郎さんは、行動の人です。命かけて、世の中変えようとして、この世に理想社会つくろうとして、本当にできそうなところまでいった人です。みんな、行動しましょう!!」って言いました。
にんげんクラブの月刊誌に「空前絶後の社会運動」というタイトルで、王仁三郎さんがおこして、わずか1年で800万人もの賛同者を集めてしまった昭和神聖会のことを連載してきましたが、今、まさに必要なのは、このような運動です。それぐらい、経済崩壊はいつ起こってもおかしくないです。王仁三郎さんほどのカリスマは見当たりませんが、皆で力合わせれば、結構なものができると思います。私も6年ぶりに断酒をするので、少しはパワーアップするかと思います。
その後、主だったメンバーで話し込みましたが、「革命」という言葉が自然に飛び出すほど、本気モードでした。
とりあえず、以下、連載をまとめたものが読めるので、お読み頂ければ幸いです。

http://briefcase.yahoo.co.jp/bc/sasaki_shigehito  

2011/09/13

マアジナル


田口ランディさんから、メールでイベントの案内頂いたついでに、久しぶりに、メールでやり取りしました。「マトリックスの真実」を送って読んでもらったら、「私の新刊、「マアジナル」(角川書店) 「アルカナシカ」(角川学芸出版)の二冊はたぶん、同じことを別の言い方で表現しているだけだと思います。」というコメントでした。

私が、文章を書くきっかけとなったのは、11年前、田口ランディさんに触発されたからでした。田口さん、メルマガ文化をつくった人と言っても過言ではないと思いますが、私は、彼女のメルマガを読んで、生い立ちや人間性がよく似ていることにびっくりし、さらにあんな風になら自分も書けると思って、ふつふつと表現意欲が沸いてきて、さんざん書いたものを一方的に送りつけました。()結局、友達になれて、一緒に仕事したり、旅したりしました。秋田だけじゃなく、台湾占いツアーまで一緒に行きました。その一方的に送りつけていた原稿を一冊にまとめたのが「ウブスナガミ」です。この本、もちろん絶版で、アマゾンでは中古品が高値で売られているのにびっくりしますが、私の手元には、大量の不良在庫があって、希望者には、差し上げています。

でも、田口さんが作家になってから、彼女の作品は、最初の「コンセント」以外、一冊も読んでません。私は、そもそも文芸書ってものに、興味をもてないんですね。

あれから11年、田口さんは、もうお酒も飲まず、作風もがらりと変わったようです。滅多に本を読まない私ですが、とりあえず、アマゾンでマアジナルをクリックしました。

ついでに、私へのコメントもなかなか興味深いです。

「佐々木さんも、自己表現したいアーティスト型の人ですから、先に人を救う事よりも、自分のやりたいことをやればいいのでは?
結果として人や世界が勝手に救われるかもしれません。
それは、予期してやった以上の波及効果があることもあります。
好きなことだけやってれば、あとはどうにかなる……という、考え方は、ダメでしょうかね?」

更にじゃないですが、田口さんが、今度やるイベントというのは、エロティックな恋愛小説の朗読会だそうです。現代社会の3つのタブーのうち、セックスについては、私の担当外だと思いますが、田口さんには、そこをどうやら担っていただけるようです。()

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音楽実験室「新世界」
「月子と私」
 --ある情事の終わり、あるいは始まり--

今回の朗読会は、田口ランディの短編集のなかから、とりわけエロティックな恋愛小説を選びました。
大人の男女のせつない性愛の物語です。かなりきわどい性描写のある小説を、どのように読みこなすか。
朗読者にとっても、観客の皆さんにとってもたいへんスリリングな朗読会となるこことと思います。
朗読者は映画監督であり、個性派俳優としても活躍している利重剛さんと原作者の田口ランディ。
音楽は映画音楽などでおなじみの大友良英さん。そして映像協力として写真家のにのみやさをりさんが参加しています。
作品のラストは朗読者の即興となっており、情事の終わりなのか、あるいは始まりなのかは当日の舞台まで誰にもわかりません。
どのような展開になるのか、参加者全員が作る物語のラストにご注目ください。
終演後には、田口、利重、大友の三人によるフリートークもあり。
写真家にのみやさをりさんの写真と大友良英さんの演奏のコラボレーションもお楽しみください。


原作 田口ランディ
朗読 利重 剛(映画監督・俳優)
   田口ランディ(作家)
音楽 大友 良英(音楽家)
写真 にのみやさをり(写真家) 
   

日時
2011年 9月26日(月)
19時開場 19時30分開演
22時終演(予定)
前売り3000円 当日3500
予約はこちらから
※当日は混雑が予想されますのでご予約をお願いします。


場所
音楽実験室「新世界」
106-0031
港区西麻布1-8-4 三保硝子B1
(最寄り駅:日比谷線六本木駅2番出口)
TEL03-5772-6767
FAX03-5772-6797

2011/09/12

いよいよ


パシフィコのイベントが終わりました。
結局、私は、何ら役に立てず、ただ迷惑かけて終わってしまいましたが、イベント自体は大成功と言って良かったと思います。みなさん、本当にありがとうございます。
船井幸雄さん、私のことを「大好きな」って書いてくれていますが、その二人の息子さん、勝仁さんと佐野浩一さん、ほんと真摯に生きていて、私は大好きです。

会場で、ブログが更新されていないのは何故?って、質問を何度か頂きましたが、フェイスブックで短い近況を書いていると、まとまった文章が書けなくなることに気付きました。こちらもチェックして頂ければ幸いです。http://www.facebook.com/sasaki.shigehito 

それと、もう、まとまった文章を書くこと自体、あまり必要がない気もしています。大事なことは、全部書いてしまった感があります。

大震災からちょうど半年、一段落しました。

私は、次は、「理想社会のモデル」づくりを本気でやります。まずは、くりもとをそうしたいと思います。そこに行くと、誰でも、食べて寝て働くことができ、自然に触れて、人と語らえる。人はこれで十二分に幸せです。くりもとの自然野菜を食べる人が増えれば、場がより充実したものになります。一人でも多くの人に食でつながって欲しいと思います。もう、経済崩壊がいつ起こっても不思議じゃない状況、まったなしです。いくらゴールド買っても救われないって、少し考えれば分かります。来月、いよいよ米の収穫ですが、イベント会場で、月野ことりさんと会って、「糧」のデザインをお願いしました。米本位通貨って、構想した頃は、あまりリアリティがありませんでしたが、今、確かな価値を感じています。
どうぞ、命のかてにご参加ください。http://inochinokate.net そして、くりもとにお越しください。東京から遠くないです。

2011/08/15

8月15日

支配するためには、多すぎる人間を減らさないといけません。
だから、不況をつくって、対立をあおって、失業者を戦場に送りこみます。
このあきれるほど単純な手口に、いい加減、みんなが気付かないといけません。
感情ゲームにどっぷりとつかって、またしても、してやられている場合じゃないんです。
特に、死と恐怖を結びつけ、死を特別なものとしてまつりあげることで、私たちは、自然な判断力を失って、コントロールされてしまいます。
そもそも死は、日常であって、「恐るべきもの、特別なもの」である理由は、ないのです。
そして、もう二度と会えない身近な人だって、本当は、あなたそのものなのです。

2011/08/10

空前絶後の社会運動 その九 元原稿


政治の現実

 これは、講演ではときどき話していることですが、二〇〇四年一月の民主党の党大会で、当時も代表だった菅直人さんは、このように演説しました。
「私たちが目指すべき社会のモデルは、江戸時代にあると言えます。あの時代は、食料を自給し、地方分権が確立していて、環境とも調和した社会でした。そして、これから最も大事なのは、農業なのです。」

 この党大会の後、同じホテルで新人研修が行われ、その後の懇親会は、中華テーブルの形式で行われました。始まる直前まで私の隣の席は空いていたのですが、その時、入口から会場に入ってきて、「ここいい?」と、私に声を掛けたのが菅さんだったのです。何度かあいさつ程度の会話をしたことはありましたが、じっくりと話し込めたのは、これが初めてでした。
「いやぁ、今日の演説は、本当に素晴らしかったです。私の地元は、農業地帯で、大潟村という米づくりで有名なところもあります。」
「実は、そこの話しを最近聴いて、行きたいと思っていたんだよ。すぐに行く、すぐ。」

そして、菅さんは、わずか四日後に本当に秋田を訪れ、それから、小泉首相との党首討論ふくめ、しばらく農業の話しばかりしていました。

同じ懇親会場で、仙谷由人さんとも少し話したのですが、その時、仙谷さんも、こういいました。
「菅の今日の演説は本当に素晴らしかった。事前にじっくり俺と話しこんだのが効いとったな。」

こうした社会感は、出口王仁三郎が描いたみろくの世とさして変わらないと言えます。

でも、彼らは、政権に近づくにつれて、消費税増税やTPPなど、グローバリゼーションに加担する真逆の政策ばかりを推進していきました。最近も、日本の貧困率が過去最悪を記録したという報道がありましたが、こうした政策が続いた結果として起こる現象です。

何度も繰り返しますが、日銀ではなく、政府が直接通貨を発行して、国民の最低所得を保証してしまえば、財政、景気も、何ら問題がなくなります。そして、食料もエネルギーも自給することは可能です。

 支配と権力の本質

 二〇〇五年九月一一日、郵政選挙で敗北した後、少ししてから、秋田の温泉に菅さん夫妻が遊びに来ました。気心の許せる人達の集まりだったので、宴席も、楽しいものでしたが、そこは、私にとっては、決意表明の場でもありました。
「三度目も出ます。たとえ公認もらえなくて、無所属でも。」
菅さんの前で、私はそう言いました。

それからは、本当に茨の道でした。公認がないため、収入もない、仕事にも就けない状態が続きます。それでも政治を続けるために、私は、起業をしました。もともとおカネに執着できない性格なので、事業にはまったく向かない人間だと自分で思っていましたが、他に方法はありませんでした。

さらに、党からの公認なしで、出馬するというのは、除名を意味しました。その出馬の記者会見は、私の人生の中で、一番勇気を必要とするものでした。会見では、
「失礼ですが、供託金は払えるのですか?」と若い記者から質問をされました。実際、その段階で、おカネの目途はなかったのです。

何も報いがないことが分かっているのに、すべてを投げうって、最後の選挙に出ました。すべて終わった時、はっきりと分かったことがひとつだけありました。自分は、ずっと権力と闘い続けてきたけど、権力っていうのは、自分の中にある恐怖心以外の何物でもないということでした。この恐怖心の壁を破り切った時、明らかに世界が違って見えました。

今の政権の中枢にいる人達が、権力にしがみつくのも、真に民のための政治が行えないのも、結局は、自分の恐れという感情から、抜け出せないことが原因なのです。

食とエネルギー

菅さんが大潟村に来てから七年経ちました。私は、地震のあった三月一一日に大潟村に到着し、自分で米づくりを始めました。職業や身分に関係なく、すべての人が自分の食べものをつくることを、みろくの世の社会基盤とすべきだと王仁三郎は考えていましたが、ようやく私もそれを始めることができました。私は、もともと農家出身ですが、家は子供の頃に離農しているので、まったくの素人です。技術な部分は、師匠である石山範夫さんや、田んぼをもっている従兄に委ねざるを得ないのですが、私は、しっかりと労働力になるべく、田植えの後から、草取りを続けました。農薬はもちろん、有機肥料も含めて一切の肥料を使わない自然栽培にしたので、およそ一か月半の草取り作業は、本当にきつい仕事でしたが、何とか無事に終えることができました。すくすくと育つ稲をみているとふつふつと幸せな気持ちが沸いてきます。農業を始めた大きな理由は、若者の働く環境がどんどん悪くなる中で、何とか彼らにやりがいのある仕事をつくりたいということでした。千葉のくりもとで自然野菜をつくっている大庭裕之さんも、秋田に研修に来た近藤嵩さんも、誰もが感心するほど、よく働きます。若者が誇りと生きがいをもって農業に取り組む姿は、本当に感動的です。こうした志ある若者が核となって、だれもが安心して、働いて食べて眠れるコミュニティが育っていき、さらに、地域の食をまかなって行くことができれば、それがまさに、「みろくの世のひな型」と言えると思います。

もちろん、今回の原発事故をきっかけに、エネルギーの自給も真剣に目指すべきです。もともと原発の本質は、プルトニウム製造工場であり、自爆装置以外の何物でもありません。そもそも自然エネルギーの量は、無尽蔵と言えるほど膨大にあり、それを電気に変換する技術も整っているので、自然エネルギーだけで、今必要な電力をすべて賄うことに、何ら問題はありません。もちろん、原発をやめたら、経済が悪くなるということも、あり得ないのです。

「恐れ」をすてて、どんどん行動に移していきましょう。その方が、楽で、楽しいです。

2011/08/06

「米(こめ)本位制」と「政府通貨の発行」


 以下、2010年1月4日に、船井幸雄ドットコムに掲載された私の文章です。このタイミングで再読して欲しいと思って、コピーさせて頂きます。


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私の大好きな人に佐々木重人君がいます。まだ40才です。
いまは会社の社長(NS乳酸菌の製造)ですが、彼は東京外大を出て大手商社に入り、そこから一時、船井総研に来て、経営の勉強をしていました。
衆院選挙にも立候補したことのある好男子で、『天皇祭祀を司っていた伯家神道』(08年10月31日 徳間書店刊)などの編著もあります。
彼は、「これからの日本」を憂えており、以下は、「どうすればよいか?」という私の質問に答えてくれた解答論文です。
秋田の県北出身で、よく勉強もするし経営力もある佐々木君の提言をそのまま紹介しますので、ぜひ皆さまも彼の言をお読みください。


【佐々木重人さん論文】
 先日、友人にお誘いいただいて、メキキの会を主宰する出口光さんにお会いする機会がありました。その際、名刺代わりにと思い、近著『金融崩壊後の世界』(文芸社、安部芳裕氏との共著)を差し上げたら、一週間ほどして、出口さんよりお電話を頂きました。出口さんは、サムライ・ソーシャル・ネットワークというSNSを運営していますが、そこで、本格的に地域通貨を導入したいという相談でした。出口さんは、お渡しした本をきっかけに共著者である安部芳裕さんの著作を短期間ですべて読み、とりわけ、強い興味を覚えたとのことでした。
 
 1999年にNHKで放映された「エンデの遺言」という番組は、特に市民活動をする人達の間でセンセーションを巻き起こしました。この番組の中で、ドイツのファンタジー作家のミヒャエル・エンデは、忘れられた経済学者・シルビオ・ゲゼルを紹介します。

 「すべての自然物が、摩耗、劣化してなくなっていくにもかかわらず、お金だけは、時間とともに自己増殖を続けていく。これが、現代社会の問題の根源にある」と彼は言っています。

 20世紀初頭、ゲゼルは、こう考えて、時間と共に劣化する通貨を構想しました。やがて、ゲゼルの通貨は、第一次大戦後の経済的混乱の中で、オーストリアのヴェルグルという町で実践されました。ヴェルグルでは、失業対策として様々な公共事業をつくりましたが、その労働の対価として、「労働証明書」を発行しました。この労働証明書は、お金として流通できましたが、毎月、スタンプを購入して張らないと使えないようにして、時間とともに価値が減じる性質をもたせたのです。時間が経つと目減りするお金は、通常のお金の十倍以上のスピードで流通するようになりました。すると、町の経済は見る見るうちに回復し、あっという間に、完全雇用が達成されたのです。ヴェルグルの成功を見て、近隣の自治体も次々とこの通貨の導入を検討しました。ところが、通貨の発行は、中央銀行の専権事項であるとして、自治体による通貨の発行は、全面的に禁止されてしまったのです。ヴェルグルの町は再び失業者であふれてしまいました。

 紙幣は、そもそも金を保管した際に発行する預かり証でした。やがて、金は、倉庫から滅多に引き出されず、預かり証がお金として流通するようになると、預かり業者は、金の保管量を超えて預かり証を発行し、金利をとってそれを貸し付けるようになりました。これが近代銀行制度の始まりと言われています。私たちは、誰かが働いて貯めたお金を預けたから銀行があると思いがちですが、実際はそうではありません。
 お金は、無から生まれ、借金として社会に流通していきます。金利分のお金はどこにもないので、借金返済のために、お金の奪い合いが始まり、激しい競争の中で、多くの人が返済不能となり、通貨の発行元にすべての富が集まっていきます。

 「私に通貨発行権を与えなさい。そうすれば、誰が法律を作ろうとも大した問題ではない」と。
 これは、ロスチャイルド家の創始者、マイヤー・アムシュル・ロスチャイルドの言葉だと言われています。
 17世紀末に生まれたイングランド銀行が最初の中央銀行ですが、これは、長引くフランスとの戦費で財政がひっ迫していたイングランド政府の弱みに付け込むような形で、銀行家達が、国の経済と財政を支配するためにつくったものでした。それから、世界各国に中央銀行が作られていきます。
 特に、アメリカ合衆国では、通貨発行権をめぐる政治家と銀行家の壮絶な争いがつづきました。銀行家達に対抗して、独自の政府紙幣を発行したリンカーン、そして、ケネディは、暗殺されました。それから、新たに政府紙幣を発行する試みは行われていません。

 話は変わりますが、クリフォード・ヒュー・ダグラスは、20世紀初頭、ベーシックインカムという概念を提唱します。ダグラスは考えました。そもそも商品の価格は、労働力とその他の費用から成り立ちますが、購買力は、労働力からしか生まれないので、社会全体としては、常に購買力が不足し、結果として、常に行き過ぎた競争を強いられます。さらに、生産の自動化が進むにつれて、この流れに拍車がかかります。
 この社会の根本的な問題を解決するには、雇用と所得をある程度切り離して、人々の購買力を保証する必要があるとダグラスは提唱したのです。


 例えば、すべての国民に、月額8万円のベーシックインカムを支給するには、約120兆円の予算が必要です。これを政府紙幣で賄えば、国民の生活は守られ、財政破綻を回避し、景気も浮揚させることができます。

 現在、日本のGDPは、約500兆円ですが、潜在的なGDP、国民全体の生産能力は、800~1,000兆円あると推計されています。この差は、デフレギャップと言われますが、この範囲内で、通貨供給量が増えても、急激なインフレが起こることはありません。

 政権交代をして役人の無駄遣いを撲滅すると言って新政府が誕生しましたが、ほとんど成果をあげられそうになく、これから、財政破綻と消費税の大増税がやってくることは、時間の問題といった状況です。そして、景気はさらに悪化することはだれもが認めていることで、恐慌の後に何がやってくるかは、歴史を振り返ってみれば明らかでしょう。

 今、政府紙幣を財源とするベーシックインカム制度の導入は、国民の生活と国家財政を守る唯一の政策と言っても過言ではありません。しかしリンカーンやケネディのように、命をかけて国民生活を守ろうとする政治家は、日本の国には、残念ながら、なかなか現れそうにありません。だから、一人でも多くの国民が、自分達の暮らしを守るために、お金の真実を知って、世論を作っていく必要があります。

 さて、「エンデの遺言」に触発されて、2000年ごろから、さまざまなところで地域通貨の試みがなされました。当時、その最前線で活躍していたのが安部さんで、デベロッパーに勤務していた私は、販売不振の首都圏郊外のニュータウンの活性化策として地域通貨に注目し、安部さんと交流がありました。最盛期には、日本に200以上の地域通貨がありました。しかし、様々なタイプのお金が試みられたものの、結局、お金として盛んに流通したものは、ほとんどなかったのです。

 「何故、地域通貨は、日本であまり流通しなかったんだろう?」
 会食の席で、出口さんが尋ねました。
 「うーん、突き詰めれば、その通貨で、食えないというか、生活が成り立たたなかったからじゃないかと思います。通貨を何で担保するのが一番いいのかというのには、いろいろ議論があるようで、たとえば主要穀物をバスケットにして、その合成価格を通貨の基本単位にするといったアイデアがあるようです。まあ、日本はシンプルに米でもいいと思いますけど」と私は答えました。

 ベルナルド・リエター氏は、著書『マネー』の中で、古代エジプトは、穀物を基準単位とするお金が流通している間は、繁栄を続けたものの、それが、ローマ人のお金、プラス利子がつくお金にとってかわられるに及んで繁栄が終わったことを紹介しています。

 米は、世界中の水の豊かな地域で主食として栽培されていますが、あらゆる穀物の中で、単位面積当たりの収穫量が一番多く、連作障害がないので何百年でも同じ場所で作り続けることができ、味も栄養価も一番よいようです。人間が生きるために、空気、水の次に必要なものは何でしょうという質問に対して、米と答えるのは、決して間違いではないでしょう。

 しかし、御存じのように、日本の農業は衰退の一途を辿り、現在、日本の食糧自給率は、40%あまり、農民の平均年齢は、70歳に達しようとしています。稲作農家の作業を時給に換算すると300円に満たないという試算もあります。世界の基軸通貨であるドルの崩壊が時間の問題であり、その後、貿易が円滑に行われるのかは不透明なので、国民の生存基盤が大きく揺らいでいると言えますが、こうした時にこそ、志ある若者が農業に参入し、消費者と直接繋がって食料を提供できれば、十分に採算があって、豊かな暮らしがおくれるようになるはずです。

 先日、船井総研時代の元同僚である山田浩太さん「農業ベンチャークラブ」を立ち上げるということで、その説明会に行ってきました。山田さんは8年前から循環型農業に注目し、全国の農家を歩いて研鑽を積んで、今では会社で軽トラックまで購入し、毎週、茨城県水戸市にある鯉淵学園という農業学校で循環型農業の研究を自ら行っているそうです。さらに、新規就農ウェブスクールという、インターネット上で農業を勉強できる場も提供しているというから驚きです。経営コンサルティング会社である船井総研がここまでやっているとは、すっかり感心してしまいました。本来、農家の後継ぎであった私が、山田さんのようなことができないのを申し訳なくなった次第です。山田さんの上司である船井総研の執行役員の菊池功さんは、セミナーの中でこう言いました。「これからは、景気はますます悪くなって、企業業績も落ち込んでいくでしょう。こういう状況の中でも社員の生活を守るには、突き詰めれば、食糧の企業内自給、そういうことも視野に入れていかなければならない時代です」と。船井総研の環境グループメンバー約30人は、昨年から、農業研修として毎週メンバーが順番に農場へ行き、農作業を行っているそうです。まさに、自社で企業内自給を実践し始めています。

 出口光さんの曾祖父である出口王仁三郎さんは、恐慌から戦争に突入していこうとする昭和初期に、「昭和神聖会」という運動をおこして、800万人もの賛同者を集めました。これは、日本史上空前絶後の社会運動だったと言えますが、日本政府は、これを徹底的に弾圧しました。その後、日本は戦争に突入していきます。

 王仁三郎さんが描いた「みろくの世」とは、「産土共同体」という小さなコミュニティで、自給し、全てが農業を営み、1日2~3時間の労働で豊かに暮らし、所有も、税金も、今の形の通貨もない世界のようです。いうまでもなく格差も戦争もない社会でした。それは、神と人が合一し、祭と政が一致した世界でもあります。もちろん、「みろくの世」とは、人が死んでから、神の審判によって行ける世界ではなく、生きているうちに自らの手でつくり上げるものであり、自然には、みろくの環境が最初から備わっています。人間は、唯一神によって作られた被造物であり、未来は、神が決めるものであり、人間は、いつも堕落して神を信じなくなり、結局、終末を迎えて破滅するという世界観とは、この考え方は大きく隔絶しています。

 出口光さんは言います。
 「豊かな幸せな社会を創ろうという想いは一人ひとりの心の奥底にある共通の想いです。人々がインターネット上で交流するソーシャルネットワークに地域通貨を組み合わせ、そこにいる人たちの天職が発展し、皆の幸せにつながるような社会基盤を創ることはできると思います」と。

 有意の人たちと共に、研究を重ねながら「みろくの世」つまり理想社会のひな形をぜひ造りたいと思っています(論文ここまで)。



私は「なるほど」と思って、この提言を読みました。実によくまとまっていますし、実現の可能性はあります。
実現するか否かは別にしても、おおいに考えさせられるレポートです。皆さまも、ぜひ真剣に御検討ください。
=以上=

2011/08/02

米づくりの常識がひっくりかえる


10日ほど前だったと思いますが、従兄から電話がありました。
「ううう。やっぱりイモチがついてきた。隣の人の農薬使った田んぼで広がり出してうつって来てしまった。どうすればいいんだろうか。前は、木酢液とか使ってたが、石山さんに聴いてみてくれ。」
とにかく、山間部の風通しがあんまりよくない田んぼは、いもち病にかかりやすく、一度かかったら、あっという間に広がって、大幅な減収になってしまうことを恐れています。それを聴いて、私も、ヤバイと思いました。

とりあえず、早速、師匠に電話したら、あっさりとこういいます。
「石山さん、やっぱり、イモチ、でてきてしまいました。どうすりゃいいですか?」
「ああ、そんなもの大丈夫だ。気にするな。あれは、気温が27度以上になったら、生きられなくなって、自然に消えていく。明日っから晴れるようだから、だまって、放っておけ。」

ところが、天気予報が外れて、イモチはじわじわと広がって行きます。また、従兄から電話です。
「どうすればいいかな?」
「天気予報は?」
「ようやく、明日からは、今度こそ、晴れるようだ。」
「やっぱり、それじゃあ放っておくしかないな。まぁ、信じてやってみよ。隠さないでしっかり説明する事が大事だから、病気の様子、ちゃんと写真にとって、メールで送ってくれ。」

それから、数日したら、また、電話がありました。
「うーーーん。凄い。本当に消えた。写真とろうと思って行ったが、稲がどんどん育って、イモチの跡が消えてしまって、分からなくなってしまって、結局、とれなかった。普通は、成長と一緒にイモチが、どんどん広がって行くんだが、自然栽培は、ぜんぜん違う。いったい、今までの考え方は何だったんだ?
注意して穂を調べると、やっぱり、コナギが生えているところは、よく育っていない。農薬使ってる頃は、コナギなんて、ほとんどなかったから分からなかったけど、確かに石山さんの言うとおりだ。来年は、このコナギ対策、とにかく徹底してやらなねば、だめだ。逆に、ヒエは、本当に、収量に影響ない。これは、本当にびっくりだ。今までの米づくりの考え方とまったく逆だ。」
「なるほどなぁ。すごいなぁ。結局、肥満が万病のもとみたいなもんで、肥料やらないと病気にならないってのは、やっぱり本当なんだよ。で、収量はどうなりそう?」
「今の穂の様子だと、普通の栽培から1割少ないくらいだと思う。まぁ、堅く見積もった方がいいから、67俵ぐらいだろう。去年の作は、酷かったけど、今年は悪くない。台風が行った後、オホーツク海の高気圧がつよくなっている。こうなると日本海側の作がよくなるんだ。」
「そりゃ、大成功っていえるレベルだな。」
「まあ、油断は禁物だが、今の穂の状態で、ほぼ、収量は決ると言っていい。」

という状況です。

ほんと、ハラハラドキドキな米づくりですが、どうやら・・・・素晴らしい結果になりそうです。

今から、収穫の時は、号泣すること、予約します。^^

2011/07/29

せっかくだから、イマジン超えたい・・・


もう、俺達はわかってしまったんだよ。


天国も、地獄も、本当は、ないってことを
国っていうは、争いをつくるための虚構だってことも
民族っていうのも、おんなじだ。

奪わなきゃ、生き残れないなんて、大嘘だ。
生き残るためには、仲間を殺さなきゃっていうのは、最悪な嘘だ。


本当は、すべてが足りているんだ。最初っから。


もう、わかってしまったんだよ


宗教なんて支配の道具に過ぎないってことが
所有ってことが、幻だってことも
おカネって、本当にただの紙切れだってことも
肩書には何の価値がないってことも
支配ってのが、人を怖がらせなきゃ、成り立たないってことも


俺を信じなきゃ地獄行きだって、そんな了見の狭い創造主いるわけないよ


そう、全部、うそなんだよ。

本当は、過去も未来もないんだよ。永遠の今があるだけなんだ。
空間だって、幻なんだ。だから、すべてがつながっているんだ。
本当は、あらゆるものが、自分なんだ。
自分じゃないものなんて、何も、ないんだよ。


本当は、分かっているんだよ、最初から。


人間は、罪深い存在だって、思わされてきた。
だから、人間をつくる営みだって悪いことだって刷り込まれた。
自分は、ちっぽけな存在だって、思わされてきた。
社会の歯車のひとつで、無力なんだって、思わされてきた。
あらゆるところに競争っていう土俵をつくられて、そこで勝たなきゃ生き残れないって、思わされてきた。
嫉妬心を植え付けられて、無限の愛さえ、奪わなきゃいけないって思わされてきた。


そうやって、バラバラにされて、奪われた。



死んだら、何にもなくなるんだぞって、脅されて、意志をうばわれた。


確かに自分は空っぽだ。でも、自分はすべての可能性なんだ。
原子の中だってすっからかんなんだよ。俺達が見るから塊に見えるだけ。
どんなに長い間、偶然が積み重なっても、こんな世界になりっこない。
無限の情報の海の中で、意志が可能性を選び出すから、世界が生まれるんだ。




そう、本当は、世界をつくっているは、自分なんだ。


でも、俺達、生きるのがつらいのは、なんでだろう?


もう、嘘ばかりの世界にいることに、うんざりしてるんだよ。


でも、もう、俺達はわかってしまったんだ

だから、選び直せばいいんだよ。


そう、次は、本当の世界を選ぶんだ。

2011/07/25

経済危機


 ここしばらく被災地での事業の立ち上げと秋田での農作業に没頭されていたので、経済に関してはほとんど無関心に近い状態でした。わが社の状況は決してよくありませんが、そもそも固定費が極小状態なので、まあ、いざとなっても何とでもなると思っています。40過ぎて、初めて肉体労働の日々を過ごしましたが、これでいよいよ、何やったって生きていけるということが確信になってきました。

 東京に戻って、ぼちぼち人に会っていますが、不況はいよいよ深刻だということを肌で感じています。
そして、アメリカの財政破綻も、もうすぐのようです。間違いなく、日本も連鎖するでしょう。
こういう時、投機でひと儲けするのは、そんなに難しいことではないと思います。マーケットの状況、チェックしてないので、必ずそうなるとは言えませんが、短期的には、ドルと輸出関連企業の株をカラ売れば、かなりまとまった利益を得られるんでしょう。と言いながら、個人的には、今さら、虚業の極みな世界に没頭する気にもなれませんが・・・。

いつもの繰り返しになってしまいますが、収奪のために、破綻は意図的に仕組まれます。きっとどこかで、偉くて立派な誰かが、財政破綻を防ぐために一生懸命頑張って、私たちの暮らしを守ってくれるはずという漠然とした期待は、確実に裏切られるでしょう。政府の中でも、破綻を防ぐために、本気で無駄遣いを減らそうとしている人なんか、どこにもいないことは、誰の目にも明らかです。

私は、恐怖心あおって、支配やカネ儲けにつなげる趣味は、まったくないのですが、これから、大震災の時以上に、ますます、ひとりひとりの生き方が本質的に問われていくことになるでしょう。厳しい現実を突きつけられ、ごまかしは一切通用しないという状況で、丸裸の自分と向き合わざるを得ない。そういう時代に突入して行くでしょう。

2011/07/18

終結宣言

草取り終わります。

「刀折れ、矢尽きるまで・・・・」と、最近、菅さんが言ってましたね。
除草機のスタンド、重たい泥に耐えかねて、とうとう折れました。草取りのおばさんたちも、「もう、無理・・・・」
私の体も、へばって、動かない・・・。

師匠の田んぼも終結しました。これ以降、いくら雑草とっても、もう米の収量変わらないのが今のポイントなんだそうです。命のかての田んぼも、ここで、終わります。

反省点、けっこうあります。
最終局面で、水の管理がうまくいかず、生えた雑草とり切れなかった田んぼ、数枚、残りました。
師匠が、「怖いのはコナギ」っていう意味がずっとわからなかったけど、土壇場で、一部の田んぼで、コナギが一挙に増え出して、それを手でとるのが一苦労でした。

でも、今のところ、どちらかというと、失敗というよりは、成功と言えると思います。

そして、まあ、やり切ったっていってもいいと思います。この後は、従兄に任せて、東京、戻ります。

ほとんど何のPRもしてませんが、全部で280アールのうち、今のところ、半分くらいの区画に、オーナーさんがいます。完全無肥料無農薬でつくっていますが、米づくりが続けられ、かつ、誰でも買えるようにと考えて価格設定していますので、とてもリーズナブルです。もともと水が良くて美味しい米がとれる上に、自然栽培なので品質は、最高といっても、言い過ぎじゃないと思います。収穫の時に、実際にとれた分の「お米券」を発行して、いつでも交換できるようにします。1区画、10メートル四方で、一年でひとりが家で食べる米の量くらいとれます。今回の地震で宅急便が止まった時、私が車運転して、一般道を通って、首都圏まで米運びました。いざとなって、スーパーから米が消えても、私がつくった米、必ずベストを尽くして、お届けします。詳しくは、http://inochinokate.net からどうぞ。ぜひ、オーナーに、なってください。

20041月、菅さんと、たまたまパーティで隣り合わせて、農業の話しで意気投合、その4日後、大潟村に来てくれました。私の今のアパートのすぐ近所です。あの時、菅さん、「私たちが目指すべき社会のモデルは、江戸時代にあって、一番大事なのは農業だ」と、党大会で演説しました。そして、立ち話した仙谷さんも、それを讃えていた。あれから、7年です。

 首相になった菅さんは、7年前に言ったことの真逆の政策であるTPPを推進しました。支配するには、生きるってことの根っこの部分を無理やり切り離して、そこに恐怖心を植え付けるんです。

魂売って権力握って、そして、操られたまま消えて行きます。最後に原発解散やってくれたら、見直しますが、まあ、命と引き換えでしょうね。

 私は、言ったこと、やります。出来ないことはありますが、ベストはつくします。