原稿

原稿

「マトリックスの真実」「おカネの真実」「空前絶後の社会運動」「志の世界」「大震災の前線」「右傾化選挙の中で」
世の中の根本的な仕組み、神とは、支配とは、おカネとは、社会とは、人間とは、・・・根源から、そして、前線から、書きました。
読んで面白いと思った方は、どんどん転送やコピー配布をして頂ければ幸いです。


2012/07/25

ミッション


「ウブスナガミ」の原稿のオリジナルのひとつです。

=============================================




19971223日。

韓国、浦項でのネゴがようやく終わって帰路につくことになる。12月に入って、韓国も通貨危機に見舞われて大混乱していたが、我々の商売は今のところ順調に推移していた。

金甫空港で成田行きに乗り換えようとカウンターに行ったら、オーバーブッキングで私の席がないという。仕方がないので、名古屋に向かい、そこから新幹線で帰ることになった。それでも今日中に家に辿り着ける。今日は、日本は休みだったんだから、明日のクリスマス・イブは代休取ってもいいだろう。

新幹線の中で、1人で酒を飲みながらこの1年を振り返る。

本当にいい年だった。

ある事をきっかけにして、この6月から私は家庭人になった。年間100日も韓国にいたが、出張しないときは、家に早く帰って、平日でも食器くらいは洗った。子供達を風呂にも入れるようにもなった。家族で沖縄旅行もした。妻は見違えるほど幸せそうになった。

会社からの帰り道、保谷駅を降りてから家までの間、畑の中の小道を歩いていく。
「ああ、しあわせ。みんなも幸せになりますように。」
祈りに似た思いが自然と湧き出てくる。そんな日々だった。

来年、何しようか。

幾つか浮かんできた。「妻の自信を取り戻したい。」「ものを書きたい。」「田舎暮らしの基盤をつくりたい。」手帳に書き留める。

さて、仕事は?と考えた時、心に浮かんでしまった言葉が、「会社を変える」だった。そのまま書き留める。

この夏前から、ウチの会社が不良債権の処理が一向に進んでいないとマスコミに出てしまった事がきっかけで、株価は下落を続けて、とうとう200円を割ってしまった。そんな中で突然、数千億円の不良債権処理が発表される。時を同じくして山一證券が廃業する事になる。「次はウチの番だ」と良識のある社員は思っていた。

「この会社、おかしいよ。このままだったら、きっと潰れるよ。」
これが私の酒を飲んだ時の口癖だった。谷底に向かって突き進んでいるのに図体が重くて止まらない恐竜のようだと、私はいつも感じていた。
それでも、そう言うと、決まって
「おかしいのはお前だよ。」という言葉が返ってきた。

変えられるとしたら、今しかない。

…………………………

年が明けた。

社長は年頭の挨拶で「改革を全うする事が私の使命。」と言って続投を宣言した。

数日後、私は、社長にメールを打った。上杉鷹山や土光敏夫を引き合いに出して改革者のあるべき姿を説き、あなたの改革への熱意は社員には全く感じられないから辞めるべきだという趣旨の事を書き送った。

「あなたの言うことは分かりましたが、特にお答えすることはありません。」これが、社長からの返事だった。

秘書部長に呼ばれて説教を食らった。「そんな事を言っているのは、馬鹿な若手だけだ」と。労働組合の組合長にコピーを送ったら、彼は興奮して長文の返事をくれた。

ただ辞めろじゃ芸はない。次は、坂本竜馬になった気分で自分が「舟中八策」を作ってやろうと思い立ち、自分なりの改革案を書いてまた社長に送った。

「佐々木君、君の意見は良いところもあり、実現不可能なところもあると思います。何れにせよ、有難う。」

この返事の数日後、彼は辞職した。

「ごくろうさまでした。」と一言だけ書いて送ったら、秘書部長から電話があって、「失礼じゃないか。」とまた怒られた。私にすれば、ねぎらいたかったんだけど、他に言葉も見つからなかったのだ。

次期社長は、大方の予想通りの人選で、失望する社員も多かったが、私はもうあんな事するのはやめようと思っていた。実際、暗い夜道を1人で歩くのがどうも落ち着かない。組合長からも、危ないからもう1人でそんな事はするなと言われていた。

しかし、新しい役員人事が発表されて愕然としてしまう。そこには「顧問」という肩書きがずらりと並んでいた。

「ひどく疲労するので、社長に直接メールを出すのは止めようと思っていましたが、今日の役員人事を見て憤りを感じたので再度、私が前社長に送った改革案を送らせていただきます。もはや、「今まで通り」は誰も望んでいません。決死の覚悟で改革をしてください。私ももう一度決死の覚悟に戻ります。」

「ご満足頂けなかったかも知れませんが、ベストの人選をしたつもりです。改革は必ずやります。これからも意見を下さい。」
以後、社長はいつも私のメールに迅速に返事をくれるようになった。

同じ頃、韓国の通貨危機の余波で、プラント輸出の契約が全部キャンセルになった。これまで、一緒に働いてきた子会社から出向してきた人達は、仕事がないまま子会社に戻される事になった。私は、韓国での他のビジネスを提案したが、上司は耳を傾けない。他のマーケットに行けばいいと考えているようだった。

「佐々木よー、社長にメール出すのもいいけど、目の前の事もちゃんとやれよなあ。」飲み会の席で同期の社員が言う。

確かにそのとおりだ。

一晩寝ずに考えた。

翌日、部を出る事を書面で上司に宣言した。私が去ることで、韓国の商権は子会社に移管される事になる。

行くあてなどない。人事担当は私の話を聞くふりはするが、しょせん謀反者は会社を辞めるしか道はない。

「退職を前提に活動をしています。これが最後のメールになると思います。」社長に書き送った。

「会社の為に、これからも意見をください。」