原稿

原稿

「マトリックスの真実」「おカネの真実」「空前絶後の社会運動」「志の世界」「大震災の前線」「右傾化選挙の中で」
世の中の根本的な仕組み、神とは、支配とは、おカネとは、社会とは、人間とは、・・・根源から、そして、前線から、書きました。
読んで面白いと思った方は、どんどん転送やコピー配布をして頂ければ幸いです。


2013/04/16

『逝きし世の面影』抜粋③

欧米人観察者の眼には、日本人はいたって宗教心の薄い民族にみえた。一八九五(安政六)年、江戸を訪れたヴィシェスラフツォフは言う。「日本人はまるで気晴らしか何かするように祭日を大規模に祝うのであるが、宗教そのものにはいたって無関心で、宗教は民衆の精神的欲求を満足させるものとしては少しも作用していない。それに反して迷信は非常に広く普及していて、お守りとか何かの象徴を住居その他につけるのがごく普通になっている。病魔を遠ざけるために家の扉に蟹を釘で止めたりするかと思うと、好運の日、不運の日があって、船乗りは暦でどの方角を避けるべきか前もって調べた上でないと港を離れない。寺社には老女と子供しかおらず、老女が祈っている間、子供の方はお祈りや念仏が唱えられているというのに、大声をあげて遊び回っている」。

... ベルクによれば「教養ある日本人は、本当は仏教とその僧侶を軽蔑している。・・・・・・それは、下層階級と同じように僧侶のばかばかしいいかさま説法の対象となるのは、威信を下げると彼らが思っているからである」。ハリスは一八五七年五月の日記に書く。「特別な宗教的参会を私はなにも見ない。僧侶や神宮、寺院、神社、像などのひじょうに多い国でありながら、日本ぐらい宗教上の問題に大いに無関心な国にいたことはないと、私は言わなければならない。この国の上層階級の者は、実際はみな無神論者であると私は信ずる」。

一八七一(明治四)年来日したヒューブナーは池上本門寺を訪れ、その建築の優美に感動したが、付添いの政府役人は「煙管を口にしたまま境内にずかずか入り込み、笑ったり喋ったり、大声で僧侶や仏をからかったり」していた。
「宗教心は消え失せかけている。朝晩、日の出と日の入りに家を出て太陽に平伏するのは、もう老婆しかいないのだ。・・・・・・宗教行事や迷信は腐るほどあるのだが、上流階級や知識人階級では、信仰心も宗教心も全く欠如している。・・・・・・私はこの国の有力者たちに信仰を持っているかどうか幾度も尋ねてみた。するといつも判で押したように、彼らは笑いながら、そんなことは馬鹿らしいと答えるのだ」。

カッテンディーケも「日本人ほど寛容心の大きな国民は何処にもない」と感じた。「もし日本人が、歴史上キリスト教徒のことについて何も知らないならば、彼らは平気で日本の神様の傍らにキリストの像を祭ったであろうと私は信ずる」。スミス主教は長崎滞在中、崇福寺に寄宿したのだが、スミスがもっと広い空間がほしいというと、住職はいともあっさり隣接した仏間から仏像を撤去してくれた

全国を通じてどんな僻地山間にも見受けられる厖大な数の自社と住民の関係、とくにその祭礼のありかたを一見したとき、彼らの喉を突いて出たのは「日本では宗教は娯楽だ」という叫びだった。オールコックは言う。「宗教はどんな形態にせよ、国民の生活にあまり入りこんでおらず、上層の教養ある階級は多かれ少なかれ懐疑的で冷淡である。彼らの宗教儀式や寺院が大衆的な娯楽と混じりあい、それを助長するようにされている奇妙なやりかたこそ、私の確信を裏づける証拠のひとつである。寺院の境内では芝居が演じられ、また射的場や市や茶屋が設けられ、花の展示、珍獣の見せ物、ベーカー街のマダム・タッソー館のような人形の展示が行われる。こういった雑多な寄せ集めは、敬虔な感情や真面目な信仰とほとんど両立しがたい」。もろん彼は浅草のことを言っているのだ。バードはもっと簡潔に断定する。「私の知る限り、日本人は最も非宗教的な国民だ。巡礼はピクニックだし、宗教的祭礼は市である」。

『逝きし世の面影』抜粋②

リンダウがいうように、日本の女に裸に対する羞恥心が薄いのは、彼女らが恥知らずということではなかった。そのことをよく理解したのは、何ごとにつけ日本の事象に讃嘆を惜しまなかったギメである。彼はいう。「無作法を意識せず、ショッキングであることを知らない、罪以前のイヴたちが相手にされていたのだ。そこで紳士たちの好奇心にかられたまなざしと、(外国人の)レディたちのおびえた叫び声が、今まで知られていなかった罪を明かしているのである。私ははっきりと言う。羞恥心は一つの悪習である、と。日本人はそれを持っていなかった。私たちがそれを彼らに与えるのだ」。

羞恥心とは、ルソーが正当に言っているように『社会制度』なのである。
...
徳川期の日本人は、肉体という人間の自然に何ら罪を見出していなかった。それはキリスト教文化との決定的な違いである。もちろん、人間の肉体ことに女性のそれは強力な性的表象でありうる。久米の仙人が川で洗濯している女のふくらはぎを見て天から墜落したという説話をもつ日本人は、もとよりそのことを知っていた。だがそれは一種の笑話であった。そこで強調されているのは罪ではなく、女というものの魅力だった。徳川期の文化は女のからだの魅力を抑圧することはせず、むしろそれを開放した。だからそれは、性的表象としてはかえって威力を失った。混浴と人前での裸体という習俗は、当時の日本人の淫猥さを示す徴しではなく、徳川期の社会がいかに開放的であり親和的であったかということの徴しとして読まれなければならない。

トロイ遺跡の発掘で名高いシュリーマンは、一八六五(慶応元)年、ひと月ばかり横浜・江戸に滞在したが、大半は先行文献の無断借用からなるその旅行記に、「あらゆる年齢の女たちが淫らな絵を見て大いに楽しんでいる」と記している。ティリーも長崎で同様の光景を目にしたらしい。「猥褻な絵本や版画はありふれている。若い女が当然のことのように、また何の嫌悪すべきこともないかのように、そういったものを買い求めるのは、ごくふつうの出来事である」。

日本人が春画をペリー艦隊の水兵に与えたり、ボートに投げ込んだりしたことは先述の通りだが、艦隊所属の一大尉の記録によると、測量に従事しているボートに対して、集まった住民は「上陸するように手招きし、まごうかたない身ぶりをして、われわれを女たちと交わらせようと誘い」、しかも一人の女は「着物をまくしあげて身体をみせつけるようなことまであえてした」という。これは漁村などではよく知られた性的からかいにすぎないと思われるが、アメリカ人たちが真に受けて仰天したのも無理はないところだ。

ヴェルナーは述べている。「わたしが日本人の精神生活について知りえたところによれば、愛情が結婚の動機になることはまったくないか、あるいはめったにはない。そこでしばしば主婦や娘にとって、愛情とは未知の感情であるかのような印象を受ける。わたしはたしかに両親が子どもたちを愛撫し、また子供たちが両親になついている光景を見てきたが、夫婦が愛し合っている様子を一度も見たことがない。神奈川や長崎で長年日本女性と夫婦生活をし、この問題について判断を下しうるヨーロッパ人たちも、日本女性は言葉の高貴な意味における愛をまったく知らないと考えている」。
たしかに日本人は西欧的な愛、「言葉の高貴な意味における愛」を知らなかった。ヴェルナーのいうように、「性愛が高貴な刺激、洗練された感情をもたらすのは、教育、高度の教養、立法ならびに宗教の結果である」。一言でいうならキリスト教文化の結果である。

ポンペも遊女は二十五歳になると「尊敬すべき婦人としてもとの社会に復帰する」と言っている。「彼女らが恵まれた結婚をすることも珍しくはない」。遊女屋は「公認された公開されたものであるから」、遊女は社会の軽蔑の対象にはらなない。「日本人は夫婦以外のルーズな性行為を悪事とは思っていない」上に、彼女らは貧しい親を救うために子供の頃売られたのである。「子供は両親の家を後にして喜んで出て行く。おいしいものが食べられ美しい着物が着られ、楽しい生活ができる寮制の学校にでも入るような気持で遊女屋に行く」。「この親子はいわば自分たちを運命の犠牲者と考えているのである。両親は遊女屋に自分の子を訪問し、逆に娘たちは外出日に両親のいる住居に行くのを最上の楽しみにしている。娘が病気にかかると、母親はすぐに看護に来て彼女を慰める」。

グリフィスは一八七一年の品川と吉原について次のように書く。「狭い道を進むと、きれいで明るくて、美しい立派な大きい家の前に出る。日本人の目にすばらしくうつり、外国人に魅力のあるこれらの建物は、一般市民の住居のそばにあって田舎家の隣の宮殿のように見えるが、その中でどんなことが行われているのか。そういう家が多数、道路に沿って並んでいる。品川は遊女の里であり、乱暴者、道楽者、泥棒ばかりか、この国の若者もよく行く所である。日本で最も立派な家は娼家のものである。政府認可の女郎屋は数エーカーの土地にわたってあるが、そこは首都で最も美しい場所である。東洋の輝き――街の神話――が現実になるのは、吉原の木戸に横木が置かれる時である」。

イザベラ・バードは伊勢山田を訪ねて、外宮と内宮を結ぶ道が三マイルにわたって女郎屋を連ねていることに苦痛すら覚えた。彼女が「この国では悪徳と宗教が同盟を結んでいるようにみえる」こと、「巡礼地の神社がほとんどつねに女郎屋で囲まれている」ことについて、突きこんだ考察を試みた形跡はない。巡礼地が女郎屋で囲まれているのは、むろん精進落としが慣習になっているからである。

『逝きし世の面影』からの抜粋①


 ハリスは一八五七(安政四)年十一月、オランダ以外の欧米外交代表として初めての江戸入りを果たすべく、下田の領事館を発った。東海道の神奈川宿をすぎると、見物人が増えてきた。その日の日記に彼は次のように記した。「彼らは皆よく肥え、身なりもよく、幸福そうである。一見したところ、富者も貧者もない。―――これが恐らく人民の本当の幸福の姿というものだろう。私は時として、日本を開国して外国の影響を受けさせることが、果たしてこの人々の普遍的な幸福を増進する所以であるかどうか、疑わしくなる。私は質素と正直の黄金時代を、いずれの他の国におけるよりも多く日本において見出す。生命と財産の安全、全般の人々の質素と満足とは、現在の日本の顕著な姿であ...るように思われる」。
 カッティンディーケは言う。(略)
「日本人が他の東洋諸民族と異なる特性の一つは、奢侈贅沢に執着心を持たないことであって、非常に高貴な人々の館ですら、簡素、単純きわまるものである。(略) 家具といえば、彼らはほとんど何も持たない。一隅に小さなかまど、夜具を入れる引き戸つきの戸棚、小さな棚の上には飯や魚を盛る漆塗りの小皿が皆きちんと並べられている。これが小さな家の家財道具で、彼らはこれで充分に、公明正大に暮らしているのだ。ガラス張りの家に住むがごとく、何の隠しごとのない家に住むかぎり、何ひとつ欲しがらなかったあのローマ人のように―――隣人に隠すものなど何もないのだ」。
 オールコックは大名からその日暮らしの庶民に至る生活用具の簡素さを描写したあとで、「彼らの全生活に及んでいるように思えるこのスパルタ的な習慣の簡素さのなかには、称賛すべきなにものかがある」と述べている。初めは日本人の生活の簡便さに皮肉も言ってみたかった彼が、ここでは厳粛な口調に変わっていることに注意したい。しかも続けて彼はこう書く。「たしかに、これほど厳格であり、またこれほど広く一般に贅沢さが欠如していることは、すべての人びとにごくわずかな物で生活することを可能ならしめ、各人に行動の自主性を保障している」。

2013/02/20

追悼・中嶋嶺雄先生


カミさんが、「あなたは今まで身近な人亡くしたことないでしょ」っていってましたが、まさに。

Dig deep the very place where you stand, you will find a spring.

東大落っこちて、高校の先生に頼まれてたまたま受けて合格しちゃった外大に入って、五月病かかって、仮面浪人しようとしていた頃、たまたま、国際関係論って授業に出た時に、先生はこう黒板に書きました。私は、それで、ハッと目が覚めた気がして、この大学に居ようって思いました。それから、自分に足かせつけるために、アメフトも始めました。授業も、本当に面白かった。ちょうど、ゴルバチョフがペレストロイカを始めた頃でした。先生が、高校時代に家業が倒産して苦学したってことも、自分にダブらせていました。
 大学2年の時は、先生のゼミ旅行に参加したくて、一念発起して朝日新聞でバイトをしまくって、40万円くらいおカネつくって、一緒にヨーロッパ行きました。バイトのために潮留の朝日新聞のビルに何日も連続で寝泊まりして、その年は、単位を落としまくりました。大学卒業してからも、「どうしよう、このままじゃ卒業できない」って、夢でうなされました。

初めての海外旅行、パリからイタリア、オーストリア経由東欧。スーパーで生ハム買って、パーキングエリアみたいなところで、みんなで食べた記憶あります。あの時、初めて生ハム食べて、食感にびっくりしました。ヴェニスもプラハもきれいな街だった。それから、バスでベルリン入って・・・。ベルリンの壁、よく覚えています。それから3カ月して、それ、テレビで壊されるの見ました。まさに、歴史。

当時から李登輝さんと仲良しで、そのつながりでアジアオープンフォーラムというのやってて、私達ゼミ生は運営スタッフやってました。大磯のプリンスホテルでレセプションやって、そこに総理をやめたばっかりの竹下登さんが来た。メディアであんなに悪く言われている人が、こんなに神々しいオーラを発しているのかって、随分と、驚いた記憶もあります。これも私の原体験のひとつ。

まぁ、ゼミ生時代は、ほんとサボリまくって、就職活動のためにゼミを欠席したら、「彼は破門だ」と言われ、謝罪に行ったこともありました。卒論も優をもらえなかった。ははは。

卒業してからも、新年のあいさつにご自宅には時々お邪魔しました。

ある年の新年会からしばらくしてから、突然、私の会社に電話があっていいます。
「あのさ、君から頼まれたアメフト部のためにグラウンドに照明を付ける件、会議で否決されちゃったんだよ。ごめんね。学長の車に電話も付けられないんだから、ほんと、どうにもならないよ」って愚痴ってました。

それから、保守派に足を引っ張られ、学長再任の選挙に敗れ・・・。

しばらくして、私達が再会したのは、秋田でした。その時、私は民主党公認の衆院選候補、先生は、新設された国際教養大の学長。

高見裕一さんに頼まれて、モンゴル国立人文大学の留学生の受け入れ先を探すことになって、とりあえず先生に電話してみたら、10分くらい話して快諾いただき、奨学金含めた引き受け体制つくってくれました。それからわずか3カ月で5人のモンゴルからの留学生が日本に到着。私も学長室で対面しました。満面の笑みを浮かべた留学生達からもらった感謝の言葉。もう、人生最高の瞬間。

3回目の選挙、民主党の公認とれずに、それでも出るって私が言っても、結局応援してくれました。

「金融崩壊後の世界」、アカデミズムからしたら発禁本みたいな本で、教え子としては恐る恐る送りましたが、「いやぁ、面白かった」と電話をくれ、頑張れよって多額のカンパを振り込んでくれました。

なんだか、なんだか、なんだか。

去年会った時、確かに凄くやつれてました。

気がつけば、今、自分の子供が大学受験してて、私があなたと出会った年齢になっています。

一方で、自分は、あんな存在感には、到底なっていない。

ちょっと浮世離れした空気があって、でも、いつも温かかった先生。

本当にありがとうございました。

ちゃんと次につなげます。

2013/01/15

ガンジー名言総集編


万人の福利を願うことが自らの福利につながる。自分や自分の所属する小社会のみの福利を願う人は利己的であって、そうすることは、けっしてその人のためにはならない。

わたしが富める人々に対して言えることは、富を捨てることによって富を享受せよ、ということだ。
あなたたちは、あらゆる方法によって富を得よ。
しかし、その富はあなたのものではないことを知れ。
それは人々のものである。
必要なものだけを取り、残れるものは社会のために使え。
富を蓄えることは泥棒である。
欲望に駆られて、暮らしのために必要とする以上の富を得ることは、ほかの人から盗んだのと同じことだ

お金が神に取って替わってしまったいま、わたしたちは何をすべきだろう。
お金や物の力に依存することは馬鹿げている。
なのに今日ではお金中心の考え方が蔓延し、わたしたちは目に見えない魂の力など存在しないかのように思い込んでいる。
けれどもわたしは魂の力を信じ、野蛮なお金にはなんの価値も認めない。
尊厳を保つためには金は必ずしも必要ではない。
本当の富とは、健康のことであり、金や銀のことではない。
報酬を求めない奉仕は、他人を幸福にするのみならず、我々自身をも幸福にする。
土を耕すのを忘れるということは、自分自身を忘れることだ。

あなたの身にまとわりついた物を、捨てなさい。
持ち物を捨てれば捨てるほど、あなたの魂の表面から所有欲という曇りが消え、その魂は真実の輝きを取り戻す。

何か信じるものがあるのに、それに従って生きない人間は信用できない。
幸福とは、考えること、言うこと、することが調和している状態である。
私は人格をすべて表現するために自由を望む。
間違いを犯す自由が含まれていないのであれば、自由は持つに値しない。
生は死から生じる。麦が芽ぐむためには種子が死なねばならない。
死ぬ覚悟が出来ていれば、人は自由に生きられる。

自分とは異なる考え方を受け容れないのも、暴力のひとつの形である。
それでは真の民主的精神は、いっこうに育たない。
良心に関しては、多数決の法則は当てはまらない。
周知だからと言って間違いは真実にはならなければ、誰もそう見ないからといって真実が間違いにもならない。例え大衆の支持無くとも、真実は立ち上がる。真実は自立しているから。たとえあなたが少数派であろうとも、真実は真実なのだ。

精神性の最大の要素は「恐れない心」である。恐怖は精神を蝕む。恐怖に屈すれば、真実さえも抹殺されてしまう。自らが正しいと信ずることを恐れずに実行する。
臆病者は数の力を喜ぶ。しかし、勇敢なる精神をもつ者は、一人戦うことを誇りとする。
偉大な人は常に一人立つ。
物事は、初めはきまって少数の人によって、ときにはただ一人で始められるものである。

非協力運動は、無意識のうちに悪に加担してきたことに対する抗議だ
暴力によって得られた勝利は敗北に等しい。それはほんの一瞬しか続かない。
敵と相対するときには、その敵を愛で征服しなさい。
世界の不幸や誤解の四分の三は、敵の懐に入り、彼らの立場を理解したら消え去るであろう。
非暴力は、暴力よりも無限に優れているし、許すことは、処罰するより遥かに男らしい。
弱者は決して許すことができない。許しとは強者の態度である。
博愛を実践するには、最大の勇気が必要である。
もし、一人が最高の愛を成就するならば、それは、百万の憎悪を消すのに十分である。
非暴力が人間の理法であるならば、未来は女性とともにある。

わたしたちの歴史は、戦いの記録で埋められている。
まるで、この世界は戦争や暴力によってつくられたかのようだ。
でも、それが本当だとすれば、世界にはなぜまだこんなにも大勢の人々が生きているのだろう。
この事実は、極めてシンプルなことを物語る。
わたしたちの世界は、戦争や暴力によってではなく、慈悲と愛の力でできているということを。

私は失望したとき、歴史全体を通していつも真理と愛が勝利をしたことを思い出す。暴君や殺戮者はそのときには無敵に見えるが、最終的には滅びてしまう。どんなときも、私はそれを思うのだ。
束縛があるからこそ私は飛べるのだ。悲しみがあるからこそ高く舞い上がれるのだ逆境があるからこそ私は走れるのだ。涙があるからこそ私は前に進めるのだ。
人は微笑みで悲しみを乗り越える。涙は悲しみを倍にするから。
人間性に対する信頼を失ってはならない。人間性とは大海である。仮に大海の一滴が汚れていたとしても、大海そのものが汚くなるわけではない。

すべての人の目から、あらゆる涙を拭い去ることが私の願いである。
目的を見つけよ。意志はついてくる。
心からの祈りによって、成し遂げられないものは、この世に無い。
目標はつねに、われわれから後ずさりする。
善きことは、カタツムリの速度で動く。
行動の最中には静寂を、そして休息においては活気を学ばなくてはならない。
人生は、速度を上げるだけが能ではない。
あなたがすることのほとんどは無意味であるが、それでもしなくてはならない。
なぜならそれは、世界を変えるためではなく、世界によって 自分が変えられないようにするためだからだ。
みたいと思う世界の変化に、あなた自身がなりなさい。
私の生き様こそ、私が伝えたいものである。



私は、あなたがた日本人に悪意を持っているわけではありません。あなたがた日本人はアジア人のアジアという崇高な希望を持っていました。しかし、今では、それも帝国主義の野望にすぎません。そして、その野望を実現できずにアジアを解体する張本人となってしまうかも知れません。世界の列強と肩を並べたいというのが、あなたがた日本人の野望でした。しかし、中国を侵略したり、ドイツやイタリアと同盟を結ぶことによって実現するものではないはずです。あなたがたは、いかなる訴えにも耳を傾けようとはなさらない。ただ、剣にのみ耳を貸す民族と聞いています。それが大きな誤解でありますように。 あなたがたの友 ガンディーより。

2013/01/01

誰もが人間らしく生きられる社会をつくりましょう


・おカネの為だけの仕事をなくすために、政府通貨を財源としたベーシック・インカムを実現しましょう。
成人したすべての国民に対して月額10万円相当の基礎所得を支給します。これによって、すべての人から失業の不安をなくし、「おカネのために働く」人生をなくします。すべての人が、自分の希望どおり、本当にやりたいことを実現でき、誰もが本来もっている素晴らしい創造性が存分に花開く社会になります。人間性を阻害した、競争至上、成長至上主義の社会からは、完全に脱却します。
現在、私たちの通貨は政府と中央銀行が発行権をもっていますが、通貨発行のほとんどを中央銀行に委ねてしまっています。政府が国債に依存することなく直接通貨を発行し、それをベーシック・インカムに充てることで、恒常的に経済を下支えし、財政問題の解決も図ることができます。
なお、大きなデフレギャップを抱える日本経済は、これによってインフレーションがおこることはありません。

・食料とエネルギーを自給しましょう。
生きていくのに不可欠な食料とエネルギーを海外に依存することは、安全な社会の根幹を脅かし、戦争の原因にもなります。どこからも支配されない真に自立した社会をつくるために、食料とエネルギー自給を最重要課題として取り組みます。
私たちの国には、一人当たりおよそ4アールの農地があり、食生活の見直しをあわせると、ここで基本的な食料をまかなうことができます。農産物の取引を不安定な市場に委ねることなく、農家に対する十分な所得補償と農産物の価格安定政策を実現することで、若者が誇りをもってこの基幹産業に従事できる環境を整備します。また、できるだけ身近な場所で食料を安定確保することが健全な生活を維持することにつながるという観点から、非農家による自給用農地の所有も促進します。
 また、そもそも日々太陽から降り注ぐエネルギー量は、私たちが使う量と比べて無尽蔵と言えるほど多く、私たちの国は自然エネルギーの宝庫と呼べます。さらに、自然エネルギー利用の技術は世界最高と言えます。バイオオイルや森林資源を利用したバイオマス、豊富な地熱や、急峻な地形を利用した水力、洋上を含めた風力や波力、ソーラーパネル設置の拡大等を最重要課題として推進していけば、自然エネルギーによる完全自給達成も決して不可能ではありません。もちろん原発は不要です。

・平和主義を徹底しましょう。
先人の多大な犠牲のもとにつかみ取った日本国憲法の恒久平和の誓いは、人類史上もっとも尊い価値であるという認識に立ち、また、「人間性を信頼し、武器をもたないことこそもっとも安全である」という認識に立って、平和主義を世界に広め、可能な限り軍事力縮小に努めましょう。武器をもたない限り、戦争の大義はつくりようがありません。

・直接民主制を志向しましょう。
「代議員の多数決による意志決定は、一般国民の利益につながらない」という認識のもと、誰もが参加し自由に意見を言い、納得できるまでとことん話し合える直接民主制による意志決定の仕組をさまざま場面につくっていきましょう。

2012/12/30

報酬を超えて


報酬を与えるということは、人をコントロールすることに他なりません。

人間は、生まれつき豊かな好奇心があり、自分自身や周りの環境のことを詳しく知って、工夫を重ねてよりよいものを創りだそうとする性質をもっています。私たちは、自然状態にあると、世界を興味深く見つめながら、最大限の創意工夫を発揮して難しいことにチャレンジしだします。

しかし、報酬が与えられた途端、そうした性質を失ってしまいます。

単純に面白いからやっていたことでも、それに報酬が与えられるようになると、無報酬ではやる気にならなくなってしまいます。何か他の目的のための手段として提示されると、それだけで魅力が減少します。つまり、ある活動に対して報酬を支払うことは、その活動自体では、やるに値しないと言っていることになるのです。それは、報酬が大きいほど、評価が下がるのです。報酬を与えることは、人から大事なことへの興味を奪うことになるのです。

心理学的な研究によると、報酬による行動が長続きすることはなく、そのため業績が良くなることもありません。どちらかというと悪化させることの方が多いのです。そして、報酬は創造性を殺すことが証明されています。これは、仕事の種類や、報酬を与えるタイミング、対象年齢に関係なく、同じ効果をもたらします。報酬をもらったらよりよくできる仕事というのは、何ら工夫のいらない極度に単純な作業だけであり、それも、報酬によって多少量がたくさんできるようになるだけなのです。つまり、いい仕事に巡り合えていない人にとって、報酬は効果的と言えます。さらに、一度報酬によって人を動かすと、動かし続けるためには、その量を増やしていかなければならなくなります。

「これをすればあれをあげるよ」と言った途端、人の関心は「これ」ではなくて「あれ」に移ってしまいます。そして、報酬によって動かされると、私たちの視野は狭くなります。何か問題が起こった場合でも、その問題がなぜ起こったかを深く追求する必要はないのです。何故、子供が泣いているのか、なぜ宿題をやってこないのか、なぜ気が乗らない仕事ぶりなのかを考える必要はなくなり、ただ、買収か脅しで刺激を与えられるだけになります。報酬目当てに働くときは、それを得るのにちょうど必要なだけの仕事をするようになり、それ以上のことは決してしようとしません。単純で反覆的な行動パターンをとります。つまり、「報酬は探求の敵」なのです。報酬を目的に仕事をすると、仕事の成功ではなく、報酬を得ることの成功を目指してしまうのです。報酬が大きければ大きいほど、ますます安易な仕事が選ばれ、報酬が減ると、できるだけ仕事を減らそうとします。
仕事に報酬を与えることがもたらす本当の意味は、「いい仕事をしたら報酬をもらえる」ではなく、「ボスを喜ばせたら、ボスが認めた報酬をもらえる」なのです。だから、いい仕事をすることに関心が向かうことはなく、報酬をくれる人へ自分を売り込んだり、機嫌を取ったりすることに労力を費やすことになります。

罰もまた報酬と同じ効果をもたらします。報酬と罰は、対立するものではなく、同じコインの裏表にすぎません。期待したのに報酬がもらえないというのは、罰と同じ効果をもたらします。そして、コイン自体、ほとんど価値のないものなのです。
賞罰の働きは屈従をひきだすことであり、その点では効果的です。命令や規則に従わせることが目的なら買収も脅しも合理的だといえるのです。特に、人の行動をコントロールするには、コントロールする側に依存する状態におけば、とても簡単になります。依存状態にすると欠乏状態をつくることができます。そうすると少ない報酬で効果的にコントロールすることができるのです。報酬や罰は、人間が自然にはやらないような行動を引き出そうとするときに使われますが、それによって、なぜこの面白くないことをやらなければならないのか?という本質的な疑問を抱かせずに望む方向にコントロールできます。

これとは逆に、人の長所をのばしたり、自分で創意工夫をいかんなく発揮して質の高い仕事をしてもらうようにするには、報酬や罰は、まったく役に立たず、むしろ有害なのです。

私たちは、「自分は単なる歯車ではなく、より本質、根源的な存在であって、自分のすることは自分で決めたい」という基本的な欲求を持っていて、報酬は、その基本的な欲求を制限するので、本能的には避けたいものなのです。さらに、報酬をわざとしぼって、競争して勝たないと得られないようにすると、その仕事への興味は大きく減ってしまうのです。その上、報酬をもらうと、あとから、仕事自体の面白さに目覚めるチャンスを奪ってしまいます。

「これをすればあれをあげるよ」というのが考え方のすべてになってしまうと、報酬のないことはすべて無駄なことと見なすようになります。それは、生きることを楽しむことができなくなるということなのです。
自分を信じることができ、自分の人生を自分で決めることができる根拠が、完全に外からの報酬に依存してしまうと、私たちは精神的な健康を維持できなくなり、危機にさらされます。そうした人達は、落ちこみやすく、無力感を抱きやすく、物事がうまくいかないときは絶望的になります。それは、報酬を決めるのが、自分ではないので、誰かに依存しないと生きていけないと思っているからです。

賞罰によるコントロールの基本にあるものは、私たちはいつも利己心に支配される存在であり、報酬とその反対である罰を唯一の基準として合理的に行動するものだという考え方です。

しかし、これは決して「人の世の自然」ではありません。

私たちは、もともと報酬を基準にして行動する性質があるわけではありません。もともと、自然に興味を覚えたものに対する行為そのものを楽しむようにできていて、それはとても独創的な営みになります。「報酬を基準に行動する」ということは、生まれつきのものではなく、ずっと続くものでもありません。後から教え込まれたものであり、訓練の度合いによって捨てることもできるのです。

人が欲しいものを何かしてくれたらあげることにして、人をコントロールしようとすることこそ、今の社会が抱える一番大きな問題です。私たちは、何か条件を決めて与えるということをやめなければならないのです。

人間関係もまた、何かの目的のための手段と見なされると、その人も価値評価が下がってしまいます。

褒めることも報酬と似ています。褒めることも、褒められるより褒める側の利益になることが多いのです。褒めるのは相手の行動の変化を期待してのことですが、その変化は、結局、褒める側の利益になります。さらに、褒める人の方が偉いのだという位置付けが確認されてしまいます。そして、偉い人に褒められたからといっても、それが自分の能力への自信には必ずしもつながらないのです。よく褒める先生が教える子供たちは、頑張りがきかなくなるという結果があります。先生から褒められ続けるために、失敗しそうな難しいことを避けるようになるからです。そして、先生の望むことに依存していき、自分の自然な興味を失っていきます。やがて、先生の期待に添えないことを恐れて、精神的に不安定になります。褒めるという肯定的な判断の問題点は、それが肯定的だということではなく、判断だということなのです。

大事なのは、無条件に受け入れられることであり、何かにひもつかない助けなのです。特に、逆境にいる時に必要なのは、愛されているという感じばかりではなく、自分には力があるという感じ、自分の身の上に起こることについて選択ができ、発言権をもっているのだという感じです。私たちが必要としないのはコントロールされることであり、それは甘い言葉でコントロールされることも一緒なのです。