原稿

原稿

「マトリックスの真実」「おカネの真実」「空前絶後の社会運動」「志の世界」「大震災の前線」「右傾化選挙の中で」
世の中の根本的な仕組み、神とは、支配とは、おカネとは、社会とは、人間とは、・・・根源から、そして、前線から、書きました。
読んで面白いと思った方は、どんどん転送やコピー配布をして頂ければ幸いです。


2012/12/30

報酬を超えて


報酬を与えるということは、人をコントロールすることに他なりません。

人間は、生まれつき豊かな好奇心があり、自分自身や周りの環境のことを詳しく知って、工夫を重ねてよりよいものを創りだそうとする性質をもっています。私たちは、自然状態にあると、世界を興味深く見つめながら、最大限の創意工夫を発揮して難しいことにチャレンジしだします。

しかし、報酬が与えられた途端、そうした性質を失ってしまいます。

単純に面白いからやっていたことでも、それに報酬が与えられるようになると、無報酬ではやる気にならなくなってしまいます。何か他の目的のための手段として提示されると、それだけで魅力が減少します。つまり、ある活動に対して報酬を支払うことは、その活動自体では、やるに値しないと言っていることになるのです。それは、報酬が大きいほど、評価が下がるのです。報酬を与えることは、人から大事なことへの興味を奪うことになるのです。

心理学的な研究によると、報酬による行動が長続きすることはなく、そのため業績が良くなることもありません。どちらかというと悪化させることの方が多いのです。そして、報酬は創造性を殺すことが証明されています。これは、仕事の種類や、報酬を与えるタイミング、対象年齢に関係なく、同じ効果をもたらします。報酬をもらったらよりよくできる仕事というのは、何ら工夫のいらない極度に単純な作業だけであり、それも、報酬によって多少量がたくさんできるようになるだけなのです。つまり、いい仕事に巡り合えていない人にとって、報酬は効果的と言えます。さらに、一度報酬によって人を動かすと、動かし続けるためには、その量を増やしていかなければならなくなります。

「これをすればあれをあげるよ」と言った途端、人の関心は「これ」ではなくて「あれ」に移ってしまいます。そして、報酬によって動かされると、私たちの視野は狭くなります。何か問題が起こった場合でも、その問題がなぜ起こったかを深く追求する必要はないのです。何故、子供が泣いているのか、なぜ宿題をやってこないのか、なぜ気が乗らない仕事ぶりなのかを考える必要はなくなり、ただ、買収か脅しで刺激を与えられるだけになります。報酬目当てに働くときは、それを得るのにちょうど必要なだけの仕事をするようになり、それ以上のことは決してしようとしません。単純で反覆的な行動パターンをとります。つまり、「報酬は探求の敵」なのです。報酬を目的に仕事をすると、仕事の成功ではなく、報酬を得ることの成功を目指してしまうのです。報酬が大きければ大きいほど、ますます安易な仕事が選ばれ、報酬が減ると、できるだけ仕事を減らそうとします。
仕事に報酬を与えることがもたらす本当の意味は、「いい仕事をしたら報酬をもらえる」ではなく、「ボスを喜ばせたら、ボスが認めた報酬をもらえる」なのです。だから、いい仕事をすることに関心が向かうことはなく、報酬をくれる人へ自分を売り込んだり、機嫌を取ったりすることに労力を費やすことになります。

罰もまた報酬と同じ効果をもたらします。報酬と罰は、対立するものではなく、同じコインの裏表にすぎません。期待したのに報酬がもらえないというのは、罰と同じ効果をもたらします。そして、コイン自体、ほとんど価値のないものなのです。
賞罰の働きは屈従をひきだすことであり、その点では効果的です。命令や規則に従わせることが目的なら買収も脅しも合理的だといえるのです。特に、人の行動をコントロールするには、コントロールする側に依存する状態におけば、とても簡単になります。依存状態にすると欠乏状態をつくることができます。そうすると少ない報酬で効果的にコントロールすることができるのです。報酬や罰は、人間が自然にはやらないような行動を引き出そうとするときに使われますが、それによって、なぜこの面白くないことをやらなければならないのか?という本質的な疑問を抱かせずに望む方向にコントロールできます。

これとは逆に、人の長所をのばしたり、自分で創意工夫をいかんなく発揮して質の高い仕事をしてもらうようにするには、報酬や罰は、まったく役に立たず、むしろ有害なのです。

私たちは、「自分は単なる歯車ではなく、より本質、根源的な存在であって、自分のすることは自分で決めたい」という基本的な欲求を持っていて、報酬は、その基本的な欲求を制限するので、本能的には避けたいものなのです。さらに、報酬をわざとしぼって、競争して勝たないと得られないようにすると、その仕事への興味は大きく減ってしまうのです。その上、報酬をもらうと、あとから、仕事自体の面白さに目覚めるチャンスを奪ってしまいます。

「これをすればあれをあげるよ」というのが考え方のすべてになってしまうと、報酬のないことはすべて無駄なことと見なすようになります。それは、生きることを楽しむことができなくなるということなのです。
自分を信じることができ、自分の人生を自分で決めることができる根拠が、完全に外からの報酬に依存してしまうと、私たちは精神的な健康を維持できなくなり、危機にさらされます。そうした人達は、落ちこみやすく、無力感を抱きやすく、物事がうまくいかないときは絶望的になります。それは、報酬を決めるのが、自分ではないので、誰かに依存しないと生きていけないと思っているからです。

賞罰によるコントロールの基本にあるものは、私たちはいつも利己心に支配される存在であり、報酬とその反対である罰を唯一の基準として合理的に行動するものだという考え方です。

しかし、これは決して「人の世の自然」ではありません。

私たちは、もともと報酬を基準にして行動する性質があるわけではありません。もともと、自然に興味を覚えたものに対する行為そのものを楽しむようにできていて、それはとても独創的な営みになります。「報酬を基準に行動する」ということは、生まれつきのものではなく、ずっと続くものでもありません。後から教え込まれたものであり、訓練の度合いによって捨てることもできるのです。

人が欲しいものを何かしてくれたらあげることにして、人をコントロールしようとすることこそ、今の社会が抱える一番大きな問題です。私たちは、何か条件を決めて与えるということをやめなければならないのです。

人間関係もまた、何かの目的のための手段と見なされると、その人も価値評価が下がってしまいます。

褒めることも報酬と似ています。褒めることも、褒められるより褒める側の利益になることが多いのです。褒めるのは相手の行動の変化を期待してのことですが、その変化は、結局、褒める側の利益になります。さらに、褒める人の方が偉いのだという位置付けが確認されてしまいます。そして、偉い人に褒められたからといっても、それが自分の能力への自信には必ずしもつながらないのです。よく褒める先生が教える子供たちは、頑張りがきかなくなるという結果があります。先生から褒められ続けるために、失敗しそうな難しいことを避けるようになるからです。そして、先生の望むことに依存していき、自分の自然な興味を失っていきます。やがて、先生の期待に添えないことを恐れて、精神的に不安定になります。褒めるという肯定的な判断の問題点は、それが肯定的だということではなく、判断だということなのです。

大事なのは、無条件に受け入れられることであり、何かにひもつかない助けなのです。特に、逆境にいる時に必要なのは、愛されているという感じばかりではなく、自分には力があるという感じ、自分の身の上に起こることについて選択ができ、発言権をもっているのだという感じです。私たちが必要としないのはコントロールされることであり、それは甘い言葉でコントロールされることも一緒なのです。

2012/09/30

愛国主義に関する格言


国を愛するのは素晴らしいことだ。でも、どうして国境でとめてしまうのだろう?
パブロ・カザルス

国に争いが増えると、愛国者が栄える。
老子

愛国主義とは、つまらない理由で殺したり殺されたりする意欲のことである。
バートランド・ラッセル

愛国主義は、破滅的で、精神病的な愚行である。
愛国主義とは、この国は、私が生まれたから他の国より優れているという信念である。
人類から愛国主義を追放しない限り、決して静かな世界は得られない。
ジョージ・バーナード・ショー

人が国に対する愛を語るのは、決まって、それに報酬を期待するサインである。
H.L.Mencken

多くのタカリが国旗に助けられている。
George M. Cohan

愛国主義とは、功名心をもつ人のたいまつに差し出された燃えやすいゴミである。
アンブローズ・ビアス

愛国主義とは、ひきょう者の最後の隠れ家。
サミュエル ジョンソン

愛国主義というのは、どんな感じか知ってみると、ドアの外に放り出すべき汚い奴のようだ。
アーサー・ショーペンハウアー

国家は、政治と経済で大きな問題を抱える時、破れた愛国の旗を掲げて、臭い匂いをまき散らす。
レーニン

国のために嘘をつくことは、すべての愛国者の義務である。
アルフレッド・アドラー

国の利益のためには、時には、地獄に落ちるべき嘘をつく必要がある。
Hilaire Belloc 

神と国家は決して打ち負かすことのできないチームだ。彼らは、抑圧と殺りくのすべての記録を破る。
ルイス・ブニュエル

現実を見えなくする愛国主義に対して盲目であってはならない。誰が言おうが、間違っていることは間違っている。
マルコムX

自尊心のない人でも愛国的になれるし、恵まれない人のために大きなものをさし出すこともできる。彼らは自分の墓になる土を愛するかもしれないが、肉体に生命を与える精神にはまったく共感をもたない。愛国主義は、頭の中の気まぐれに過ぎない。
ヘンリー・デヴィッド・ソロー

私達が国を愛せるようになるには、国は素晴らしいものにならないといけない。
エドマンド・バーク

金鋒博士からのメッセージ


一日も早い日中関係の正常化を願っています。

1980年代後半、私が初めて日本に留学した時、ちょうど、学校で国旗掲揚と国歌斉唱を義務化する議論が盛んでした。学校で国旗をあげたり、国歌を歌ったりすることは、私達にとっては当然のことだったので、そうすることに、賛成と反対の意見があることに私はショックを受けました。特に、国旗国歌をやらなくていいという学校の先生の意見は驚きでした。中国でそんなことをしたら、ものすごく怒られますし、ひょっとしたら殴られるかもしれません。でも、さまざまな意見を聞いている中で、国旗や国歌に対して自由な選択ができるということは、素晴らしいことだと思うようになりました。特にアメリカは、911事件があってから、愛国運動の嵐がおこって、その勢いで、アフガニスタンやイラクと戦争をしました。あの運動がなかったら戦争ができなかったのではないかと思います。その時に、愛国というのは、時には、危険な行為につながるということを知りました。日本のように自由な国は、実は世界ではとても少ないと思います。唯一かもしれません。

日本は、戦争に負けてから、思想の多様性が生まれ、自由で民主的で、科学技術の発展もとても速く、世界中に注目されました。戦争に負けたお陰で軍事力の発展を目指さず、兵器の開発も行わず、科学技術は民間の生活に役立つものばかりでした。日本の製品が世界中に広がって人々の暮らしを豊かに変えていきました。

こうしたことを考えると、私は、負けるということは決して悪いことではないと思いました。逆に、勝つことが必ずしもいいことでもありません。負けたら二度と同じことはしないようにしますが、勝ったら、もっと勝ちたいと思うようになります。大事なことは負けた後でどのようにして立ち上がり、どこに向かっていくかです。

NHKの番組の戦争に関するインタビューが中国の知識人の間で称賛されています。番組の中で、「お国のために死ねますか?」という問いに対して、「命を掛けるほどものじゃない」「お国のために死ねという国だったら滅んでしまえばいい」という答えがありました。
戦争があったら、国のために死んでもいいかと言われたら、私は死にたくありません。家族がいて、無責任な事をしたくありませんから。これから、戦争は避けるように努力する必要があります。国のリーダー達は自分で戦場に行くことはありません。犠牲になるのは国民です。

日本の大地震の時、色々なニュースが中国でも放映されましたが、その中で、一番感動したのは、数十名の電力会社の人達が、身の危険をかえりみずに破壊された原子炉に向かったことでした。この放送を見て多くの中国人は衝撃をうけました。もし中国で同じことが起こったら、こうした勇敢な行動を起こせる人がどれだけいるのかとインターネットで大きな反響を呼びました。

戦争では死にたくないけど、こうした大きな災害の時に、自分の命を捨ててでも、人の命を救おうとする人は、決して少なくないかもしれません。これは、国と国の戦争、物を奪ったり侵略したりするために死ぬのとはまったく意味が違います。

本当は、多くの中国人は、日本のことをとても尊敬しています。政府どうしで喧嘩しているにすぎません。そして、そのやり方はとても稚拙です。政治家のパフォーマンスだと思って無視してしまえばいいと思います。

私は、過去の戦争のことは早く忘れてしまいたいと思います。率直に言って、今、日々生活を送って、国の間を行き来している私達は、過去に戦争について何の責任もありません。それでも、責任を追及したら永遠に解決はできないのです。将来のことを考えても、いつも戦争の陰があったら、さらに友情が深まって発展することは見込めません。

デモで破壊活動が行われた事はたいへん残念なことです。これは、ごく一部の暴徒であって、大多数の中国人は暴力に対しては批判的です。これに対しては中国政府も犯罪として厳しく対処しています。マスコミが大きく報道しても、決してそれに反応して欲しくないと思います。決して対抗せず、無視して淡々と日々を過ごすのが一番いいと思います。今、この問題は、世界中が注目しています。対抗しあってもそれで得をするのは誰でしょう?私達は賢くふるまう必要があると思います。

私達は遺伝子レベルでは全く区別がつかず、本当によく似た文化をもっています。そして、共生こそ、世界の真実です。自分にとって不都合なものを取り除こうというのは、結局、自分自身を傷つけることになります。

別添として、愛国主義に関する世界の賢人達の格言を紹介します。

一日も早く問題が解決されて、正常な交流ができることを心より願っています。


2012年9月24日
中国科学院
教授 金鋒

2012/09/23

『天皇祭祀を司った伯家神道』 抜粋③


あとがき

今年の一月、商談でヤクルトホールを訪れました。講演会場の楽屋で、船井幸雄さんとすれ違ったとき、その弱り果てた様子に、ショックを受けました。本当に命が危ないと状態だと感じました。しばらくどうしたものかと思案しましたが、ふと思い当たって、七沢賢治さんに電話しました。

「会長の体調が深刻なんです。」
「そうですか。・・・・・これは、呪詛ですね。分かりました。祓っておきますから大丈夫です。」
それからすぐに、その七沢さんとの会話を船井幸雄さんに電話で伝えました。
「ああ、そうだったのか。ようやく分かったよ。ありがとう。ここで俺がやられたら、またもとの木阿弥だから、今、ここで死ぬわけにはいかないんだよ。彼らに伝えてくれ。俺は争うつもりはない。仲良くなりたいんだと。」

それから、七沢さんによるカウンセリングが始まりました。結局、船井さんは、四ヶ月で八回も甲府まで通ったそうです。ひどい口内炎も煩っていて、食べ物が口に出来ないほど深刻でしたが、ちょうど七沢さんの奥さんの久子さんが歯科医で、その治療も順調に進んだようです。

この五月の末に、船井幸雄さんにお会いしたら、すっかり元気になった様子で、私も本当にうれしく思いました。そして、その時の話の中から、今回の出版の話がうまれました。「神様都合に合わせて、急いで出しましょう」ということになり、浅学の上、乱文の私が、短期間で書くことになりました。内容が不十分なところは、どなたかの次の機会に委ねたいと思います。七沢ワールドは、果てしない大海のように広くて深いので、書くことも尽きないと思います。

七沢賢治さんを紹介してくれた、友人の丸山弘志さん、ありがとうございます。
二〇〇五年の総選挙、小泉旋風の中で惨敗し、放心状態だった私に、七沢さんの存在は、大きな希望になりました。七沢賢治さんが、この時期、この国にいるということは、まさに奇跡のようだと私は思っています。茶番の政治に疲れ果てて辟易した時、本物の政(まつりごと)に出会えたのだと思います。「求めよ、さらば与えられん」かもしれません。聖書のこれに続く言葉は、「尋ねよ、さらば見出さん。門を叩け、さらば開かれん」。

また、私の誘いに応じて、甲府まで足を運んでくれた人たちもありがとうございます。
船井幸雄さんはじめ、船井総研の元同僚達、石黒哲明さん、重久昌弘さん、武田和也さん、友人の田口ランディさん、佐倉直海さん、トータルヘルスデザインの近藤洋一さん、評言社の安田喜根さん、ありがとうございます。

出版に当たっては、本当に多くの人のご協力を頂きました。まずは、この本に、登場して頂いた方々、ありがとうございます。多くの人にインタビューさせて頂き、寄稿も頂きました。
甲府の七沢邸に泊めて頂いて、おみちのご修行に参加させていただきながらのインタビュー、執筆は、まさに至福の時間でした。いつも美味しい食事を振舞ってくれた西村博美さん、本当にご馳走様でした。
資料整理を手伝ってくれた妻の織栄にも感謝です。
編集にあたってくれた徳間書店の石井健資さん、小暮周吾さん、筆が進まないくせに、生意気な注文ばかりして、本当に難儀をおかけしました。ありがとうございます。

また、この出版の縁が広がって、私の古い友人である安部芳裕さんが、「金融のしくみは全部ロスチャイルドが作った」を先行して出版しました。世界の本当の姿を知る上でこれ以上の本はないと思いますので、是非、あわせてお読み頂ければと思います。

取材中に、七沢さんのお兄さんの敏彦さんが亡くなられました。心からご冥福をお祈り申上げます。

さて、先日、ある政治家と話をしている際に、こんな言葉が口をついて出てきました。
「人間が神になるには、悪魔が必要なんだと思います。」
 丁度、リーマンブラザースが破綻しました。これが、世界恐慌の最終的な引き金となって、世界大戦につながるという、悪魔の終末のシナリオがいよいよ本格的に始まろうとしています。それをどうやって回避するかが、喫緊の私たちの最大の課題だろうと思います。

「佐々木という系統は、時代に警鐘を鳴らして、いよいよ駄目だと言う時に最後の鐘をつく役割なんです。」と七沢さんは言います。実は高濱家も、七沢さんも、佐々木の系譜だといいます。

「日月神示」によると、もう九分九厘駄目だという絶望的な状態の中で、最後の一厘に神の摂理が隠れているといいます。今、その一厘の仕掛けの役者がそろってきたようにも感じます。

何はともあれ、つくづく師に恵まれた人生だと感謝して、まずは、目先の戦に行ってまいります。

二〇〇八年九月

『天皇祭祀を司った伯家神道』 抜粋②


4. 神懸り

孝明天皇の時代と前後して、日本各地に神懸りがおこるようになります。

まずは、文化十一年(一八一四年)、黒住宗忠が、病を克服するために太陽を拝む中で、天照太神と一体となる「天命直授」という霊的体験をします。宗忠は、この体験をもとに、やがて布教活動にはいり黒住教を興しました。宗忠の死後、京都に宗忠神社が創建されますが、この宗忠神社は、孝明天皇が唯一勅願所に定めた神社でもあります。宗忠の高弟達の熱心な布教活動によって、時の関白だった九条尚忠や二条斉敬等が入信し、公家の間に広まっていきました。孝明天皇自身も熱心に信仰し、宗忠神社に、度々、祈祷を下命したといわれています。

また、天理教をつくった中山みきが、「おふでさき」という自動書記を始めたのは、明治二年です。当時、金光教の布教者だった出口なおに神示が降りたのは、明治二五年です。

明治になってから、高濱清七郎は、神道十三派といわれる諸団体と交流しました。その中でも、禊教は、創始者の井上正鐵(まさかね)が白川家の門徒として行法を学んでおり、明治期、教団形成の過程で、高濱は大きな影響を与えたと言われています。また、高濱は、近代神道霊学の祖と言われる本田親徳(ちかあつ)とも親交がありました。本田は、文政五年(一八二二年)、薩摩に生まれ、一七歳の時に、天皇の歴史を学んで深く感動して上京、平田篤胤等の門をたたきます。三五歳頃に高濱清七郎との交流があり、この時に、後に本田が確立した鎮魂帰神法、つまり神懸りの技に対して大きな影響を受けたと言われています。長澤雄楯(かつたて)は、安政五年(一八五八年)清水に生まれ、稲荷講の活動をしている中、明治一七年、二七歳の時に本田と出会い、鎮魂帰神法を伝授されます。長澤はやがて全国の神主の指導に当たるようになりますが、この弟子筋として、出口王仁三郎の他、三五(あなない)教を興した中野與之助、神道天行居を興した友清歓真(よしさね)がいます。

出口王仁三郎こと上田喜三郎は、明治四年(一九七一年)に京都の亀岡で生まれます。長澤と同じように稲荷講の活動が原点になっており、明治二一年に本田と出会い、更に、明治三一年に出口なおと出会うことで、大本の活動が始まります。『霊界物語』の中に、長澤が審神者になって自分を招いたと書かれてあるように、これが、王仁三郎の霊的な出発点になっています。王仁三郎のもつ圧倒的なカリスマ性によって、戦前、大本は、最盛期に五百万人もの信者を擁する大教団に膨れ上がり、各界を巻き込んだ巨大勢力となりました。大本の教えを端的に言うと、「宇宙の三千世界、神界、幽界、現界の立替え、立直しのために身魂を磨きなさい」というもので、やがて国家体制を脅かす存在とみなされて、徹底的な弾圧を受けることになります。特に一九三五年の二度目の弾圧の時には、一六人もの人が獄死する壮絶なものでしたが、この弾圧の中で、大本から分かれて、神政龍神会を興した矢野祐太郎氏も検挙され、取調べの最中に死んでいます。こうした一連の事件は、高橋和巳の小説「邪宗門」や、松本清張の遺作である「神々の乱心」のモデルになっています。大本は、教団本部の建物まで破壊され、壊滅的な打撃を受けますが、この流れの中から、世界救世教の岡田茂吉、生長の家の谷口雅春、世界真光文明教団の岡田光玉(こうたま)、白光真宏会の五井昌久、日本心霊学協会の浅野和三郎、若林耕七、荒深道齊(みちなり)、宇佐美景堂、佐藤郷彦(あきひこ)、黒田みのる等が輩出されてゆきます。

こうした大きな流れは、ある意味で、民族的な危機に対して、日本の神々が立ち上がったといえるかもしれません。

『天皇祭祀を司った伯家神道』 抜粋①


1. 幕末の天皇

 幕末、一人の男が密かに京都御所を離れました。時の帝である孝明天皇の命を受けて身を隠すためでした。正確な日付は伝わっていませんが、慶応二年(一八六六年)の秋のことだったろうと思います。男は、小さな机を携えていました。その机は、帝が男と一緒に行った祭祀に使ったものでした。

その男の名前は、高濱清七郎といいます。白川伯王家最後の学頭であり、審神者(さにわ)でした。審神者は、古神道の世界では一般的な言葉ですが、祭祀の中で、神代(かみしろ)に、神託を授けて神意を解釈して伝える役割をする人をいいます。

 宮中から姿を消した清七郎には、追っ手がいたと伝えられています。幕末の京都、動乱の最中に、家族を伴いながらの逃避行は、困難を極めたに違いありません。高浜は、京都を離れて、愛媛の宇和島や、九州の阿蘇に潜伏しました。

高濱が京都を離れた背景はこうでした。

 長い日本の歴史の中で、天皇が歴史の表舞台に登場するのは、決して多いとは言えません。政治権力も富みももつことなく、宮中で密かに祭祀を行うという天皇のあり方が時代とともに定着していきました。天皇制が、世界に類例がないほど長期間維持されたのは、とりもなおさず、そうした天皇の役割にあったといえるでしょう。特に、長く平和な時代が続いた江戸時代には、それが顕著でした。朝廷全体の財政規模も、十万石にすぎませんでしたが、これは、全国各地の有力大名に比べても、はるかに小さいものです。ちょうど、明治維新から終戦にかけて、天皇家が世界でも指折りの資産家へと成長していったこととは対照的です。

 江戸時代、庶民にとって天皇とはどういう存在だったのかを端的に表す出来事があります。天明七年(一七八七年)六月七日、日本全土に深刻な飢饉が広がる最中、どこからか老人がひとりやってきて、御所の周りを歩き出しました。すると、徐々に人が集まりだし、数は瞬く間にふえていきました。わずか三日後には、歩く人の数が一万人に達し、十日後には、七万人まで膨れ上がります。この「御千度」は、その後徐々に、数が減っていったものの、三ヶ月経っても、完全にはなくならなかったといいます。御所をまわった人々は、南門の前で立ち止まり、銭を投げ入れて、真北の紫宸殿に向かって手を合わせました。

 こうした天皇のあり方の中で、江戸時代最後の天皇である孝明天皇の存在は、まさに異彩を放っています。

嘉永六年(一八五三年)、黒船が到来します。この時、孝明天皇は、満二二歳。これは、即位してから七年目の出来事でした。鎌倉時代の元寇から数えれば、およそ六百年ぶりに到来した国家存亡の危機といえます。
その翌年の三月、ペリーは予告どおり再び日本を訪れ、日米和親条約の締結にこぎつけます。幕府は、自らの判断で調印に応じ、四月に、朝廷に対して事後報告します。国防体制が不備なのでやむを得ず条約を調印したが、漂流民の保護や、外国船に対して燃料や食料の補給をするだけだという説明でした。朝廷内では不満もくすぶりましたが、結局、条約締結を容認し、「神州の瑕瑾(かきん)」なきようにと指示をします。これは、神の国に傷が付かないようにという意味です。

安政三年(一八五六年)七月、和親条約に基づいて、アメリカ駐日総領事ハリスが下田に着任しますが、早速、九月には通商条約の締結を幕府に提案します。この提案に対して、軍事力では勝てないと判断した幕府は、あっさりと交渉に、応じて翌年暮れには、条約交渉が妥結してしまいます。

ここに来て、天皇は、敢然と条約締結に反対の意向を示すことになります。天皇は、安政五年一月に、関白に宛てた書状の中で次のように述べています。

私の代よりかのうの儀に相成りては、後々までの恥の恥に候らわんや、それに付いては伊勢始めのところは恐縮少なからず、先代の御方々に対し不孝、私一身置くところ無きに至り候あいだ、誠に心配仕り候 (『孝明天皇記』)

この天皇の意志に導かれるように、全国各地、朝廷内でも尊王攘夷運動が起こり、国内は騒然となっていきます。ただ、帝は、外国を追い出すという攘夷については、一貫して主張しましたが、尊王、つまり、天皇が政治の実験をもつということについては、終始否定的で、徳川幕府に政治を委ねる「大政委任」の方針は最後まで変わることがありませんでした。帝は、「皇国一和いたし、万民一同一心に相成り、相ともに攘夷の一事に決し候ようにいたしたき所存」と述べ、公武合体を推進しました。

孝明天皇こそ通商条約締結の最大の障害であると見抜いた欧米列強は、帝のお膝元で、軍事的な威圧行動に出ます。慶応元年(一八六五年)九月、イギリス、アメリカ、フランス、オランダの四カ国の代表団を乗せた連合艦隊が、兵庫の開港、条約勅許交渉のために兵庫沖に来航しました。まさに一触即発の状況下、十月には、とうとう条約を認める勅書が朝廷から出されることになります。国内も、列強に切り崩されるように、「尊皇攘夷」という掛け声は、いつの間にか「開国倒幕」へとすりかえられていきました。
この時期、長州藩では、高杉晋作らが挙兵してクーデターを起こし、長州で倒幕派政権を樹立します。そして、列強の支援を受けて最新鋭の軍備を整え、軍事的な優位を確立します。
慶応二年(一八六六年)六月、孝明天皇の義弟でもある十四代将軍徳川家茂が第二次長州征伐を行いますが、戦いに敗れ、翌月、将軍は、満二十歳の若さで、急死します。
このような失意の状況の中で、この年の十二月、孝明天皇は、不慮の死を遂げます。帝も三五歳の若さでした。死の直前、帝は、天然痘を患いながらも順調に回復に向かっていました。そうした中で、突如容態が悪化し、帰らぬ人となります。『孝明天皇記』によると、「御九穴より御脱血」「顔面の紫の斑点、吐血、脱血」という状態でした。これは、天然痘の症状ではありません。さらに、帝の死は四日間、隠されました。こうした状況から、当初から暗殺説はささやかれていました。また、明治維新にとって、帝が急死したことは、義弟の将軍と同様に、あまりにもタイミングが良いものといえます。

帝の死からおよそ一年後、慶応四年一月三日の夕刻に、京都の鳥羽・伏見で、幕府軍と薩長軍が衝突します。戦いは、京都御所からわずか五キロあまりの場所で行われました。そして、戦いの三日目、一月五日に、朝廷は、薩長軍に錦旗を渡し、勝敗が決します。まさにこの日が歴史の転換点だったといえますが、この日、戦火の中で、御所で何があったのかは、究明される必要があるでしょう。

この年の九月八日に元号が明治に改められ、二〇日に、明治天皇は、京都を離れ、翌十月一三日に江戸城に入城、ここを東京城と改名し、正式な布告もないまま遷都が行われました。

そもそも歴史とは、その時の権力者によって、自分の権力を正当化する為に書かれるものです。そのため、明治維新は、この国の行く末を案じる地方の下級武士達が、命をなげうつことによって成し遂げられたという美談として語られる一方で、孝明天皇は、時代の流れについていけなかった古い天皇として描かれがちです。

今、グローバリゼーションが際限なく進んで行く中で、普通の人の生活が脅かされる時代になってしまいました。空虚な拝金主義だけが蔓延し、経済格差はどんどん開きながら固定化され、無力感と生活苦が社会に広がっていってます。政治はまったくの無力で、グローバリストの思うがままに政策が推進されてゆきます。一体、この国はいつからこうなってしまったんだろうと歴史をさかのぼってゆくと、最後までグローバリズムに抵抗し、非業の死を遂げた孤高の天皇の存在に気付きます。

聡明な帝は、この国の行く末を見抜いていたのではなでしょうか。万策尽きて、自らの運命まで悟る中で、帝はこの国の一番大事なものを守るために隠したに違いありません。いつの日か「神州の瑕瑾」が取り除かれることを願って。

2012/08/23

政治家ってなに?


安部芳裕さんが、次の総選挙に向けて、消費税増税撤回、反TPP、脱原発のネットワークづくりを始めるということで、久しぶりに、何度か会って意見交換しています。

私は直近3回の総選挙にでました。もともと保守地盤の強いところで、勝ち目がないから誰も出ない選挙区でした。世の中変えるために自分が礎になれればと思って出ました。1回目、予想外の得票をして次の議席がみえてしまったことで、内外から散々足を引っ張られることになります。() 2回目、郵政選挙で負けた後、3回目は民主党の公認がとれなくても、無所属でも出ると菅さん達の前で宣言して、結局、本当にそうしました。なぜ出たのかっていうと、とどのつまり、民を見捨てられない、裏切れない、だから、民に引導渡してもらえれば本望だと思ったからでした。私の故郷は、人口減少率、高齢化率、自殺率全国ワーストワンの地域です。3回目の選挙の最終日、惨敗することは分かっていて、沿道に出てくれた人全員に土下座して票をお願いしました。心の中では、全員にありがとうって言いました。長く苦しい日々がようやく終わる・・・。一日中、涙が止まらなかった。そして、やり切った後に残ったものは、ただただ至福感でした。人生かけてすべて差し出して誰もやらない馬鹿げたことやってしまったけど、結局、この至福感を得るためだったんだと納得しました。
選挙で、私は、きちんと現代社会の抱える問題の解決策も提示しました。解決策は確かにあります。それでも、民が私を選ばなかったのだから、私に責任はないと言えないことはないです。そして、歴史上、世の中変えた人間はいない、ガンジーはそれに該当するかもしれないけど・・・、だから、自分ができなくたって、まぁ、無理もない。

いい社会の仕組をつくるには権力が必要で、その権力を得るためには、妥協をくり返して志を曲げていかざるを得ない。そして権力を手にした時、志のかけらも残っていない・・・。これが政治家のお決まりのパターンです。

稲森和夫さんが、意志決定の際には、そこに私心がないかをとことん追求すると本にかいていました。宮沢賢治風に言えば「あらゆることを自分を勘定に入れずに・・・」ですね。政治家も当然そうあるべきで、本来、一切の身びいきをやめるべき立場にいると思いますが、私が政治やってる間、残念ながらそういう政治家に出会うことはありませんでした。

消費税もTPPも既定路線といっていいです。これが導入される本当の目的は、収奪と支配を強めること。これによってもたらされるものは、失業者と低賃金労働者に過ぎません。社会はますます荒れます。99%の人にとって不利益な政策ですが、メディアに操作されて、「財政破綻を防ぐためにはやむを得ない」とか「競争で経済を活性化させた方が豊かになる」と刷り込まれてしまうので、半分くらいの人はこれに賛成してしまいます。政治家では、真実に気付かずに、メディアの情報をオウムのように唱える人と、真実は知っているけど自分の立場を守るために、魂売って政策を推進する人に大別されます。そもそも、理解力や分別がある政治家って、本当に少ないと言えます。彼らがパフォーマンスとして枝葉の部分で議論を戦わせることで、既定路線はますます既成事実化していきます。最近では、自分の立場をなくすことが分かっているのに、既定路線を推進してしまう政治家まで大勢います。それほど、道から外れた時の制裁が怖いのでしょう。

原発に関しては、放射線被ばくが人体に与える影響が実際にはどれほどのものか、私は、はっきりと見えていませんが、でも、そもそも、自然エネルギーの量が膨大にあって、それを何ら問題なく電気に変えることができるのだから、原発は不必要なのです。発電コストが安いというのは嘘で、突き詰めると、原発の目的は、核兵器の原料にしかならないプルトニウムの製造工場に過ぎないのです。それでも原発が必要だといっている理由は、利権しかありません。

何はともあれ次の総選挙では、多くの国会議員が落選して、もう二度と戻ってくることはないでしょう。そういう現実を踏まえて、これまで魂売った、民を売ったという自覚のある政治家は、ぜひ「自分は間違っていた」と悔いて、民のために、子供達の未来のために、勇気を振り絞って、消費税の増税をとめてください。原発もやめてしまいましょう。

どうぞ、よろしくお願いします。

2012/07/25

ミッション


「ウブスナガミ」の原稿のオリジナルのひとつです。

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19971223日。

韓国、浦項でのネゴがようやく終わって帰路につくことになる。12月に入って、韓国も通貨危機に見舞われて大混乱していたが、我々の商売は今のところ順調に推移していた。

金甫空港で成田行きに乗り換えようとカウンターに行ったら、オーバーブッキングで私の席がないという。仕方がないので、名古屋に向かい、そこから新幹線で帰ることになった。それでも今日中に家に辿り着ける。今日は、日本は休みだったんだから、明日のクリスマス・イブは代休取ってもいいだろう。

新幹線の中で、1人で酒を飲みながらこの1年を振り返る。

本当にいい年だった。

ある事をきっかけにして、この6月から私は家庭人になった。年間100日も韓国にいたが、出張しないときは、家に早く帰って、平日でも食器くらいは洗った。子供達を風呂にも入れるようにもなった。家族で沖縄旅行もした。妻は見違えるほど幸せそうになった。

会社からの帰り道、保谷駅を降りてから家までの間、畑の中の小道を歩いていく。
「ああ、しあわせ。みんなも幸せになりますように。」
祈りに似た思いが自然と湧き出てくる。そんな日々だった。

来年、何しようか。

幾つか浮かんできた。「妻の自信を取り戻したい。」「ものを書きたい。」「田舎暮らしの基盤をつくりたい。」手帳に書き留める。

さて、仕事は?と考えた時、心に浮かんでしまった言葉が、「会社を変える」だった。そのまま書き留める。

この夏前から、ウチの会社が不良債権の処理が一向に進んでいないとマスコミに出てしまった事がきっかけで、株価は下落を続けて、とうとう200円を割ってしまった。そんな中で突然、数千億円の不良債権処理が発表される。時を同じくして山一證券が廃業する事になる。「次はウチの番だ」と良識のある社員は思っていた。

「この会社、おかしいよ。このままだったら、きっと潰れるよ。」
これが私の酒を飲んだ時の口癖だった。谷底に向かって突き進んでいるのに図体が重くて止まらない恐竜のようだと、私はいつも感じていた。
それでも、そう言うと、決まって
「おかしいのはお前だよ。」という言葉が返ってきた。

変えられるとしたら、今しかない。

…………………………

年が明けた。

社長は年頭の挨拶で「改革を全うする事が私の使命。」と言って続投を宣言した。

数日後、私は、社長にメールを打った。上杉鷹山や土光敏夫を引き合いに出して改革者のあるべき姿を説き、あなたの改革への熱意は社員には全く感じられないから辞めるべきだという趣旨の事を書き送った。

「あなたの言うことは分かりましたが、特にお答えすることはありません。」これが、社長からの返事だった。

秘書部長に呼ばれて説教を食らった。「そんな事を言っているのは、馬鹿な若手だけだ」と。労働組合の組合長にコピーを送ったら、彼は興奮して長文の返事をくれた。

ただ辞めろじゃ芸はない。次は、坂本竜馬になった気分で自分が「舟中八策」を作ってやろうと思い立ち、自分なりの改革案を書いてまた社長に送った。

「佐々木君、君の意見は良いところもあり、実現不可能なところもあると思います。何れにせよ、有難う。」

この返事の数日後、彼は辞職した。

「ごくろうさまでした。」と一言だけ書いて送ったら、秘書部長から電話があって、「失礼じゃないか。」とまた怒られた。私にすれば、ねぎらいたかったんだけど、他に言葉も見つからなかったのだ。

次期社長は、大方の予想通りの人選で、失望する社員も多かったが、私はもうあんな事するのはやめようと思っていた。実際、暗い夜道を1人で歩くのがどうも落ち着かない。組合長からも、危ないからもう1人でそんな事はするなと言われていた。

しかし、新しい役員人事が発表されて愕然としてしまう。そこには「顧問」という肩書きがずらりと並んでいた。

「ひどく疲労するので、社長に直接メールを出すのは止めようと思っていましたが、今日の役員人事を見て憤りを感じたので再度、私が前社長に送った改革案を送らせていただきます。もはや、「今まで通り」は誰も望んでいません。決死の覚悟で改革をしてください。私ももう一度決死の覚悟に戻ります。」

「ご満足頂けなかったかも知れませんが、ベストの人選をしたつもりです。改革は必ずやります。これからも意見を下さい。」
以後、社長はいつも私のメールに迅速に返事をくれるようになった。

同じ頃、韓国の通貨危機の余波で、プラント輸出の契約が全部キャンセルになった。これまで、一緒に働いてきた子会社から出向してきた人達は、仕事がないまま子会社に戻される事になった。私は、韓国での他のビジネスを提案したが、上司は耳を傾けない。他のマーケットに行けばいいと考えているようだった。

「佐々木よー、社長にメール出すのもいいけど、目の前の事もちゃんとやれよなあ。」飲み会の席で同期の社員が言う。

確かにそのとおりだ。

一晩寝ずに考えた。

翌日、部を出る事を書面で上司に宣言した。私が去ることで、韓国の商権は子会社に移管される事になる。

行くあてなどない。人事担当は私の話を聞くふりはするが、しょせん謀反者は会社を辞めるしか道はない。

「退職を前提に活動をしています。これが最後のメールになると思います。」社長に書き送った。

「会社の為に、これからも意見をください。」

2012/01/30

才能と啓発


 子供の頃、勉強はよくできました。すっごい田舎に住んでいたので、教育環境は良くなかったけど、中学校の時は郡市で一番だったので、「神童」という噂も、本当にありました。()
 一方で、父親の酒乱や借金問題で、家はとっても荒れてました。そして、故郷は過疎で、どんどん人が減っていきました。こういう問題を解決しないといけないって、小学生の頃から考えずにいられなかった。
 「きっと、俺は何とかなるだろうけど・・・どうしたら周りを救えるんだろ?」

 これが私のテーマでした。ずっと、今も。

貧乏育ちでも、ようやく世間でいういい会社に勤められて、まぁ、何不自由ない生活と言えばそうだったのに、30代で、家族抱えて、突然、仕事やめて選挙出ました。なぜそんなことしたのかと突き詰めて考えると、結局、たまたま少し勉強ができたくらいで、自分だけ恵まれた環境に居ることに、とっても罪悪感があって、漫然とぬるま湯につかっていることに我慢ならなかったからだと思います。結局、三回も落ちる中で、お先真っ暗という状況に何度も陥ったけど、それでも、破綻することはありませんでした。家族にも、さんざん苦労かけてしまいましたが、家庭崩壊もありませんでした。借金苦にもなってないです。まぁ、信用がなかったお陰と言えばそれまでかもしれませんが・・・。

若い人と話す時は、いつもこういいます。
「つまんない私利私欲が動機じゃなかったら、多少の失敗は、結局、痛くもかゆくもなくって、必ず乗り越えられるから、自分がいいと思うことは、どんどん、やってみたらいいよ。」
 淡々と行動すると分かってくることは、本当に、成功も失敗も一緒ということです。

そして、周りを助けることって、ほんと難しいですが、今では、無条件に、できることすべてをさし出すようにしています。その中には、事態を打開するために、誰も言わないことをあえて泥かぶって言うことも含まれます。自分には、マイナスにしかならないことが分かっていても、やります。
そうやっても、結果、大したことはできてないんだけど、でも、結局、子供の頃、思っていたように、自分は、確かに、何とかなっていることに気付くのです。そして、やり切った瞬間に開ける世界は、私にとっては至福だったりするのです。

つまるところ、意識が現実をつくっているというのは、まったく事実だと思います。

自分に足りないものを補うために、一生懸命勉強したり、出会いを求めたりする人が少なくありません。人に認められるために、自分に足りないものを補うとか、何か新しい考え方やテクニックを身につけようとしても、残念ながら、ほとんどうまくいかないようです。ほとんど実を結ばないのは、実は、根っこにある「自分には何かが足りない」という意識が現実化しているからなのです。そして、人にそういう意識を植え付けることで、啓発ビジネスをしている人達も、残念ながら、少なくないのです。今の教育システムそのものが、そうなっているとさえ言えるでしょう。


私は、小さい頃から、確かにお勉強はできたけど、それは、社会に出たら何の役にも立たないだろうと、思っていました。そして、自分には、何かを成し遂げる才能も集中力もなかったし、そういう人達にあこがれた時期もありました。無一文からたたき上げて、大きな価値を作り上げる天才やカリスマと呼ばれる人達に憧れがあったので、そういう人達と比較的身近に接することができたと思います。

もっとも、私の人生の中の決定的な出会いはすべて偶然に過ぎず、自分から求めて会いに行ったことはありませんでした。あのとき偶々そうしなかったら、私の人生は大きく変わっていたに違いないということは、本当にいくつもあります。出会いがないと嘆く人は、出会いがないのではなく、つねに起こっている偶然の出会いに意味を見出して、行動につなげられないだけなんだと思います。

天才やカリスマと言われる人達と接して分かったことは、私との決定的な違いは、才能というよりは、モチベーションだということでした。そして、そのモチベーションの根っこにあるのは、若い頃の大きな喪失体験であって、それを埋めるために必死にもがいた結果だということでした。大きな負荷がかかった環境で、それに逃げずに向き合うと、確かに才能は開花するのですが、それは、言うまでもなく、すべてもとから自分の中にあったものに違いないのです。環境に応じて、誰でも才能は開花するんだと思います。

 そして、突き詰めれば、意識がすべてをつくり出していますが、その意識も、全部つながっているというレベルではなく、本当はすべて、ひとつです。もともと、私たちは最初からあらゆる可能性と潜在力をもっています。何か足りない存在では決してない。個性と言われるものは表面的な濃淡に過ぎないのであって、固定観念さえ捨てれば、その見え方は、どんどん変化していくと思います。

2012/01/23

タブーを笑って蹴っ飛ばせ!!



ベルナルド・リエターさんは、西洋では、3つのタブーがあったと言ってます。 
「死」「お金」「セックス」です。 

なぜ、タブーを作るのでしょう? 

真実を隠して、恐怖や罪悪感を植え付けることで、ひとりひとりの人間に備わっている大きな力を抑えて、支配するためですね。 

タブーの裏には、こんな刷り込みがあります。 
「死」:死んだら最後。生きてる間に神様の言うこと聴いたら天国いくけど、きかなかったら地獄です。 
「お金」:神様と一緒で、人前でみだりにお金の話しちゃいけません。守銭奴はみっともないことだけど、怠けてて、お金稼げないのもいけません。 
「セックス」:人間を堕落させるいけないことです。唯一、一夫一婦の夫婦間においてのみ、許されます。 

こういう刷り込みを与えることで、恐怖、罪悪感で人を支配しながら、人口を抑制してきました。 

で、本当のところは、 
「死」: 
人間は必要に応じて何度でも生まれ変わるので、死も、人生の失敗も、恐れる必要はありません。自分で思うように生きるのが一番いいです。 

「お金」: 
ただの紙切れと通帳の印字で、あまりこだわる必要ありません。実際は、ちょっと工夫すれば、誰でもお金稼げるでしょうし、逆に、お金に、あまりこだわるといい人生送れないようです。多くの人が、お金のことで苦しんでいますが、そもそも、お金のしくみに問題があるので、あまり自分を責める必要はありません。ただ、つまらない欲に付け込まれて、甘い口車に乗っちゃって、結局、すってんてんにされちゃうことは、よくあるので、それは、気をつけた方がいいですよね。 

「セックス」: 
至福な創造の行為で、愛にもとづいて行えば、基本的に良いことです。 

 因みに、うちの妻が言うには、「私がするのは恋愛で、あなたがするのは不倫」だそうで、・・・・・・あっはっは、因果応報・・・・・。 
私は、嫉妬心も独占欲もないので、どうぞ、どうぞ、ご自由にです。 
とりあえず、一夫一婦なんて、かなり自然の摂理に反していると思います。一方、「酒と女は二合()まで」ってのは、あんまり無理がないかもって思います。(これ、男尊女卑じゃないですよ、逆も真なりです。) 

また、環境問題も、新しい「原罪」です。 
数年前、ある環境事業を立ち上げようとした際、私は、「Co2は、原発推進とマネーゲームのための単なるプロパガンダだから、それで補助金もらおうなんて発想は駄目です。」って言ったら、一斉に、非難の嵐が起こったことがありました。私は、かなり早くから環境派で、「人間のエゴの為に地球を汚すのはけしからん」とずっと思ってきましたが、今では、それは、間違っていたと素直に認めます。自然のキャパシティは、本当に大きいので、人間の生存に不都合な汚染でも、自然は好きなだけ時間をかけてしっかりリカバーします。環境税も、新しい搾取のための方便ですね。地球を汚す罪深い人間は、貧しくとも、なけなしのお金をむしりとられていくのでしょう。 

もうひとつ、セックスもドラッグも、タブー化、禁止することで、アンダーグランウンドで巨大な、ビジネスを展開しています。私はドラッグの経験はゼロですが、精製せず自然の形で摂取すれば、良いこともいろいろあるってのは、事実のようです。

2012/01/10

格差を超えて


さっき、オリンパスの旧経営陣が会社から訴えられたというニュースを見て、かつてそこの経理部で働いていたうちの妻はいいました。
「悪いのは、もっと前の経営者達だよ。」
私は、
「いや、そういう意味では、本当に悪いのは、日銀だろ。」

今、社会がどこに向かっているのか?

一言で言えば、富と権力の集中といってしまっていいでしょう。

1980年代、一億総中流と言われた時代がありましたが、あっという間に、日本は世界有数の格差社会になってしまいました。なぜそうなったかは明らかで、バブルとその崩壊を経て、構造改革という言葉がもてはやされ、自由競争が賛美され、従業員より株主が大事にされるようになりました。また、派遣法の改正によって、非正規雇用者が激増したこと、デフレによって、賃金が低下をたどったことも大きな原因と言えます。さらに、このバブルの形成と崩壊は、日銀の金融政策によって意図的に起こされたと言ってよいでしょうし、一連の構造改革路線の政策も、グローバリストの意志に従順な政治家達によって遂行されたと言えます。突然変異と自然淘汰を繰り返して今の生物世界ができたというのが、確率論からは、まったくあり得ないというのと同じように、個人がばらばらに欲望を追求したら、今のような社会になったというは、あり得ないのです。そして、たとえ政権が変わっても、この流れには、何の変化もありません。彼らは、見え透いた茶番劇、三文芝居を演じているだけなのです。政治家の多くは、芝居させられているという自覚すらないのです。

TPPも消費税増税も、その目的は、つまるところ、格差を大きくすること、言葉を変えると、収奪をさらに強めることです。財界が、確実に景気を悪化させるのに、消費税増税を支持する。つまり、彼らは、本当は、景気回復など望んでいないということです。

メディアのキャンペーンによって、増税しなきゃ財政破綻するから、やむを得ないという人がもう5割を超えています。でも、これも嘘で、実際は、日銀じゃなくて、政府が直接通貨を発行して、すべての人の基礎所得を支給してしまえば、財政も経済も国民生活も問題は解決する。何故そうしないのか?答えは簡単で、そうすると、支配と収奪ができなくなるからです。そして、メディアを通じて、専門家と呼ばれる人達を使って、枝葉末節かつ不明瞭なことを延々との述べさせることで、ことの本質を隠して、問題解決方法などどこにもないのだと刷り込み続けます。さらに、一方的に押し付けられた政策の結果なのに、民主主義の社会なんだから、こうなった責任は、自分たちにあると漠然と思わされます。

私たちが向かっている社会では、大多数の人が、仕事も収入もほとんどない、あるいは、いつもリストラに怯えながら、低賃金で来る日も来る日も、一生働きっぱなし。何のゆとりもなく、人と愛をはぐくんで、家族をもつことさえ容易じゃない。無気力がはびこり、心が荒んで、社会に暴力が増えるのは当たり前のことです。ごく稀に、努力や才能で富をもつ人がいますが、そうした人たちの多くも、さらなる競争に巻き込まれて、富を失ってしまいがちです。そして、初めから富のあるところにすべての富が集中して行くのです。
そういう状況で、もっとひとりひとりが愛をもって生きれば、良い社会ができるとか、祈ればきっとよりよい未来がくるといっても、ほとんど救いにはなりません。

幸せや不幸せというのは、あくまで個人の主観、感情に属するものだから、社会の問題と完全に切り離そうという人も少なくありません。確かに、おカネはあっても、あまり幸せそうじゃない人、少なくなかった。その理由は、自然な愛より富を失う不安の方が強くなるからだと思います。
また、「人生で不必要な苦労なんてなかった。」「人生で無駄なことなんて何一つない。」という人もいます。
自分の人生を振り返っても、確かにそうだったと言えます。そして、私は、正直、苦労は買ってでもしたし、経済的にも一度どん底を味わわないと自分は、開花しないと思って、それを実行さえしました。でも、他の人もそれでいいとは決して思えないし、何よりも、社会が良くない方向へ向かっているのだったら、自分のことはおいてでも、良くなるように最善を尽くすのが、自然な人間の姿だと思います。

世界には、すべての人の胃袋を十分満たすだけの食糧があり、すべての人にゆとりをもたらすのに十分なエネルギーもあります。本当は、奪い合う必要は何もなく、すべての人が豊かに暮らすのに、自然を収奪する必要もないのです。

それでも、これからも、格差はさらに拡大し、富と権力はますます集中して行きます。残念ながら、改善される兆しは何一つありません。そして、通貨の混乱や、国どうしの紛争を経て、通貨も国家も統一の方向に向かいますが、行きつく先は、人類がひとつになった平和な社会ではなく、完全隷属の社会なのです。

そういう状況だけど、私は、支配も収奪もない社会をつくることは可能であり、それが本来の自然な姿なんだということを、淡々と伝え、そして、身近なところから、実現して行こうと思います。