原稿

原稿

「マトリックスの真実」「おカネの真実」「空前絶後の社会運動」「志の世界」「大震災の前線」「右傾化選挙の中で」
世の中の根本的な仕組み、神とは、支配とは、おカネとは、社会とは、人間とは、・・・根源から、そして、前線から、書きました。
読んで面白いと思った方は、どんどん転送やコピー配布をして頂ければ幸いです。


2012/01/30

才能と啓発


 子供の頃、勉強はよくできました。すっごい田舎に住んでいたので、教育環境は良くなかったけど、中学校の時は郡市で一番だったので、「神童」という噂も、本当にありました。()
 一方で、父親の酒乱や借金問題で、家はとっても荒れてました。そして、故郷は過疎で、どんどん人が減っていきました。こういう問題を解決しないといけないって、小学生の頃から考えずにいられなかった。
 「きっと、俺は何とかなるだろうけど・・・どうしたら周りを救えるんだろ?」

 これが私のテーマでした。ずっと、今も。

貧乏育ちでも、ようやく世間でいういい会社に勤められて、まぁ、何不自由ない生活と言えばそうだったのに、30代で、家族抱えて、突然、仕事やめて選挙出ました。なぜそんなことしたのかと突き詰めて考えると、結局、たまたま少し勉強ができたくらいで、自分だけ恵まれた環境に居ることに、とっても罪悪感があって、漫然とぬるま湯につかっていることに我慢ならなかったからだと思います。結局、三回も落ちる中で、お先真っ暗という状況に何度も陥ったけど、それでも、破綻することはありませんでした。家族にも、さんざん苦労かけてしまいましたが、家庭崩壊もありませんでした。借金苦にもなってないです。まぁ、信用がなかったお陰と言えばそれまでかもしれませんが・・・。

若い人と話す時は、いつもこういいます。
「つまんない私利私欲が動機じゃなかったら、多少の失敗は、結局、痛くもかゆくもなくって、必ず乗り越えられるから、自分がいいと思うことは、どんどん、やってみたらいいよ。」
 淡々と行動すると分かってくることは、本当に、成功も失敗も一緒ということです。

そして、周りを助けることって、ほんと難しいですが、今では、無条件に、できることすべてをさし出すようにしています。その中には、事態を打開するために、誰も言わないことをあえて泥かぶって言うことも含まれます。自分には、マイナスにしかならないことが分かっていても、やります。
そうやっても、結果、大したことはできてないんだけど、でも、結局、子供の頃、思っていたように、自分は、確かに、何とかなっていることに気付くのです。そして、やり切った瞬間に開ける世界は、私にとっては至福だったりするのです。

つまるところ、意識が現実をつくっているというのは、まったく事実だと思います。

自分に足りないものを補うために、一生懸命勉強したり、出会いを求めたりする人が少なくありません。人に認められるために、自分に足りないものを補うとか、何か新しい考え方やテクニックを身につけようとしても、残念ながら、ほとんどうまくいかないようです。ほとんど実を結ばないのは、実は、根っこにある「自分には何かが足りない」という意識が現実化しているからなのです。そして、人にそういう意識を植え付けることで、啓発ビジネスをしている人達も、残念ながら、少なくないのです。今の教育システムそのものが、そうなっているとさえ言えるでしょう。


私は、小さい頃から、確かにお勉強はできたけど、それは、社会に出たら何の役にも立たないだろうと、思っていました。そして、自分には、何かを成し遂げる才能も集中力もなかったし、そういう人達にあこがれた時期もありました。無一文からたたき上げて、大きな価値を作り上げる天才やカリスマと呼ばれる人達に憧れがあったので、そういう人達と比較的身近に接することができたと思います。

もっとも、私の人生の中の決定的な出会いはすべて偶然に過ぎず、自分から求めて会いに行ったことはありませんでした。あのとき偶々そうしなかったら、私の人生は大きく変わっていたに違いないということは、本当にいくつもあります。出会いがないと嘆く人は、出会いがないのではなく、つねに起こっている偶然の出会いに意味を見出して、行動につなげられないだけなんだと思います。

天才やカリスマと言われる人達と接して分かったことは、私との決定的な違いは、才能というよりは、モチベーションだということでした。そして、そのモチベーションの根っこにあるのは、若い頃の大きな喪失体験であって、それを埋めるために必死にもがいた結果だということでした。大きな負荷がかかった環境で、それに逃げずに向き合うと、確かに才能は開花するのですが、それは、言うまでもなく、すべてもとから自分の中にあったものに違いないのです。環境に応じて、誰でも才能は開花するんだと思います。

 そして、突き詰めれば、意識がすべてをつくり出していますが、その意識も、全部つながっているというレベルではなく、本当はすべて、ひとつです。もともと、私たちは最初からあらゆる可能性と潜在力をもっています。何か足りない存在では決してない。個性と言われるものは表面的な濃淡に過ぎないのであって、固定観念さえ捨てれば、その見え方は、どんどん変化していくと思います。

2012/01/23

タブーを笑って蹴っ飛ばせ!!



ベルナルド・リエターさんは、西洋では、3つのタブーがあったと言ってます。 
「死」「お金」「セックス」です。 

なぜ、タブーを作るのでしょう? 

真実を隠して、恐怖や罪悪感を植え付けることで、ひとりひとりの人間に備わっている大きな力を抑えて、支配するためですね。 

タブーの裏には、こんな刷り込みがあります。 
「死」:死んだら最後。生きてる間に神様の言うこと聴いたら天国いくけど、きかなかったら地獄です。 
「お金」:神様と一緒で、人前でみだりにお金の話しちゃいけません。守銭奴はみっともないことだけど、怠けてて、お金稼げないのもいけません。 
「セックス」:人間を堕落させるいけないことです。唯一、一夫一婦の夫婦間においてのみ、許されます。 

こういう刷り込みを与えることで、恐怖、罪悪感で人を支配しながら、人口を抑制してきました。 

で、本当のところは、 
「死」: 
人間は必要に応じて何度でも生まれ変わるので、死も、人生の失敗も、恐れる必要はありません。自分で思うように生きるのが一番いいです。 

「お金」: 
ただの紙切れと通帳の印字で、あまりこだわる必要ありません。実際は、ちょっと工夫すれば、誰でもお金稼げるでしょうし、逆に、お金に、あまりこだわるといい人生送れないようです。多くの人が、お金のことで苦しんでいますが、そもそも、お金のしくみに問題があるので、あまり自分を責める必要はありません。ただ、つまらない欲に付け込まれて、甘い口車に乗っちゃって、結局、すってんてんにされちゃうことは、よくあるので、それは、気をつけた方がいいですよね。 

「セックス」: 
至福な創造の行為で、愛にもとづいて行えば、基本的に良いことです。 

 因みに、うちの妻が言うには、「私がするのは恋愛で、あなたがするのは不倫」だそうで、・・・・・・あっはっは、因果応報・・・・・。 
私は、嫉妬心も独占欲もないので、どうぞ、どうぞ、ご自由にです。 
とりあえず、一夫一婦なんて、かなり自然の摂理に反していると思います。一方、「酒と女は二合()まで」ってのは、あんまり無理がないかもって思います。(これ、男尊女卑じゃないですよ、逆も真なりです。) 

また、環境問題も、新しい「原罪」です。 
数年前、ある環境事業を立ち上げようとした際、私は、「Co2は、原発推進とマネーゲームのための単なるプロパガンダだから、それで補助金もらおうなんて発想は駄目です。」って言ったら、一斉に、非難の嵐が起こったことがありました。私は、かなり早くから環境派で、「人間のエゴの為に地球を汚すのはけしからん」とずっと思ってきましたが、今では、それは、間違っていたと素直に認めます。自然のキャパシティは、本当に大きいので、人間の生存に不都合な汚染でも、自然は好きなだけ時間をかけてしっかりリカバーします。環境税も、新しい搾取のための方便ですね。地球を汚す罪深い人間は、貧しくとも、なけなしのお金をむしりとられていくのでしょう。 

もうひとつ、セックスもドラッグも、タブー化、禁止することで、アンダーグランウンドで巨大な、ビジネスを展開しています。私はドラッグの経験はゼロですが、精製せず自然の形で摂取すれば、良いこともいろいろあるってのは、事実のようです。

2012/01/10

格差を超えて


さっき、オリンパスの旧経営陣が会社から訴えられたというニュースを見て、かつてそこの経理部で働いていたうちの妻はいいました。
「悪いのは、もっと前の経営者達だよ。」
私は、
「いや、そういう意味では、本当に悪いのは、日銀だろ。」

今、社会がどこに向かっているのか?

一言で言えば、富と権力の集中といってしまっていいでしょう。

1980年代、一億総中流と言われた時代がありましたが、あっという間に、日本は世界有数の格差社会になってしまいました。なぜそうなったかは明らかで、バブルとその崩壊を経て、構造改革という言葉がもてはやされ、自由競争が賛美され、従業員より株主が大事にされるようになりました。また、派遣法の改正によって、非正規雇用者が激増したこと、デフレによって、賃金が低下をたどったことも大きな原因と言えます。さらに、このバブルの形成と崩壊は、日銀の金融政策によって意図的に起こされたと言ってよいでしょうし、一連の構造改革路線の政策も、グローバリストの意志に従順な政治家達によって遂行されたと言えます。突然変異と自然淘汰を繰り返して今の生物世界ができたというのが、確率論からは、まったくあり得ないというのと同じように、個人がばらばらに欲望を追求したら、今のような社会になったというは、あり得ないのです。そして、たとえ政権が変わっても、この流れには、何の変化もありません。彼らは、見え透いた茶番劇、三文芝居を演じているだけなのです。政治家の多くは、芝居させられているという自覚すらないのです。

TPPも消費税増税も、その目的は、つまるところ、格差を大きくすること、言葉を変えると、収奪をさらに強めることです。財界が、確実に景気を悪化させるのに、消費税増税を支持する。つまり、彼らは、本当は、景気回復など望んでいないということです。

メディアのキャンペーンによって、増税しなきゃ財政破綻するから、やむを得ないという人がもう5割を超えています。でも、これも嘘で、実際は、日銀じゃなくて、政府が直接通貨を発行して、すべての人の基礎所得を支給してしまえば、財政も経済も国民生活も問題は解決する。何故そうしないのか?答えは簡単で、そうすると、支配と収奪ができなくなるからです。そして、メディアを通じて、専門家と呼ばれる人達を使って、枝葉末節かつ不明瞭なことを延々との述べさせることで、ことの本質を隠して、問題解決方法などどこにもないのだと刷り込み続けます。さらに、一方的に押し付けられた政策の結果なのに、民主主義の社会なんだから、こうなった責任は、自分たちにあると漠然と思わされます。

私たちが向かっている社会では、大多数の人が、仕事も収入もほとんどない、あるいは、いつもリストラに怯えながら、低賃金で来る日も来る日も、一生働きっぱなし。何のゆとりもなく、人と愛をはぐくんで、家族をもつことさえ容易じゃない。無気力がはびこり、心が荒んで、社会に暴力が増えるのは当たり前のことです。ごく稀に、努力や才能で富をもつ人がいますが、そうした人たちの多くも、さらなる競争に巻き込まれて、富を失ってしまいがちです。そして、初めから富のあるところにすべての富が集中して行くのです。
そういう状況で、もっとひとりひとりが愛をもって生きれば、良い社会ができるとか、祈ればきっとよりよい未来がくるといっても、ほとんど救いにはなりません。

幸せや不幸せというのは、あくまで個人の主観、感情に属するものだから、社会の問題と完全に切り離そうという人も少なくありません。確かに、おカネはあっても、あまり幸せそうじゃない人、少なくなかった。その理由は、自然な愛より富を失う不安の方が強くなるからだと思います。
また、「人生で不必要な苦労なんてなかった。」「人生で無駄なことなんて何一つない。」という人もいます。
自分の人生を振り返っても、確かにそうだったと言えます。そして、私は、正直、苦労は買ってでもしたし、経済的にも一度どん底を味わわないと自分は、開花しないと思って、それを実行さえしました。でも、他の人もそれでいいとは決して思えないし、何よりも、社会が良くない方向へ向かっているのだったら、自分のことはおいてでも、良くなるように最善を尽くすのが、自然な人間の姿だと思います。

世界には、すべての人の胃袋を十分満たすだけの食糧があり、すべての人にゆとりをもたらすのに十分なエネルギーもあります。本当は、奪い合う必要は何もなく、すべての人が豊かに暮らすのに、自然を収奪する必要もないのです。

それでも、これからも、格差はさらに拡大し、富と権力はますます集中して行きます。残念ながら、改善される兆しは何一つありません。そして、通貨の混乱や、国どうしの紛争を経て、通貨も国家も統一の方向に向かいますが、行きつく先は、人類がひとつになった平和な社会ではなく、完全隷属の社会なのです。

そういう状況だけど、私は、支配も収奪もない社会をつくることは可能であり、それが本来の自然な姿なんだということを、淡々と伝え、そして、身近なところから、実現して行こうと思います。