原稿

原稿

「マトリックスの真実」「おカネの真実」「空前絶後の社会運動」「志の世界」「大震災の前線」「右傾化選挙の中で」
世の中の根本的な仕組み、神とは、支配とは、おカネとは、社会とは、人間とは、・・・根源から、そして、前線から、書きました。
読んで面白いと思った方は、どんどん転送やコピー配布をして頂ければ幸いです。


2012/09/23

『天皇祭祀を司った伯家神道』 抜粋③


あとがき

今年の一月、商談でヤクルトホールを訪れました。講演会場の楽屋で、船井幸雄さんとすれ違ったとき、その弱り果てた様子に、ショックを受けました。本当に命が危ないと状態だと感じました。しばらくどうしたものかと思案しましたが、ふと思い当たって、七沢賢治さんに電話しました。

「会長の体調が深刻なんです。」
「そうですか。・・・・・これは、呪詛ですね。分かりました。祓っておきますから大丈夫です。」
それからすぐに、その七沢さんとの会話を船井幸雄さんに電話で伝えました。
「ああ、そうだったのか。ようやく分かったよ。ありがとう。ここで俺がやられたら、またもとの木阿弥だから、今、ここで死ぬわけにはいかないんだよ。彼らに伝えてくれ。俺は争うつもりはない。仲良くなりたいんだと。」

それから、七沢さんによるカウンセリングが始まりました。結局、船井さんは、四ヶ月で八回も甲府まで通ったそうです。ひどい口内炎も煩っていて、食べ物が口に出来ないほど深刻でしたが、ちょうど七沢さんの奥さんの久子さんが歯科医で、その治療も順調に進んだようです。

この五月の末に、船井幸雄さんにお会いしたら、すっかり元気になった様子で、私も本当にうれしく思いました。そして、その時の話の中から、今回の出版の話がうまれました。「神様都合に合わせて、急いで出しましょう」ということになり、浅学の上、乱文の私が、短期間で書くことになりました。内容が不十分なところは、どなたかの次の機会に委ねたいと思います。七沢ワールドは、果てしない大海のように広くて深いので、書くことも尽きないと思います。

七沢賢治さんを紹介してくれた、友人の丸山弘志さん、ありがとうございます。
二〇〇五年の総選挙、小泉旋風の中で惨敗し、放心状態だった私に、七沢さんの存在は、大きな希望になりました。七沢賢治さんが、この時期、この国にいるということは、まさに奇跡のようだと私は思っています。茶番の政治に疲れ果てて辟易した時、本物の政(まつりごと)に出会えたのだと思います。「求めよ、さらば与えられん」かもしれません。聖書のこれに続く言葉は、「尋ねよ、さらば見出さん。門を叩け、さらば開かれん」。

また、私の誘いに応じて、甲府まで足を運んでくれた人たちもありがとうございます。
船井幸雄さんはじめ、船井総研の元同僚達、石黒哲明さん、重久昌弘さん、武田和也さん、友人の田口ランディさん、佐倉直海さん、トータルヘルスデザインの近藤洋一さん、評言社の安田喜根さん、ありがとうございます。

出版に当たっては、本当に多くの人のご協力を頂きました。まずは、この本に、登場して頂いた方々、ありがとうございます。多くの人にインタビューさせて頂き、寄稿も頂きました。
甲府の七沢邸に泊めて頂いて、おみちのご修行に参加させていただきながらのインタビュー、執筆は、まさに至福の時間でした。いつも美味しい食事を振舞ってくれた西村博美さん、本当にご馳走様でした。
資料整理を手伝ってくれた妻の織栄にも感謝です。
編集にあたってくれた徳間書店の石井健資さん、小暮周吾さん、筆が進まないくせに、生意気な注文ばかりして、本当に難儀をおかけしました。ありがとうございます。

また、この出版の縁が広がって、私の古い友人である安部芳裕さんが、「金融のしくみは全部ロスチャイルドが作った」を先行して出版しました。世界の本当の姿を知る上でこれ以上の本はないと思いますので、是非、あわせてお読み頂ければと思います。

取材中に、七沢さんのお兄さんの敏彦さんが亡くなられました。心からご冥福をお祈り申上げます。

さて、先日、ある政治家と話をしている際に、こんな言葉が口をついて出てきました。
「人間が神になるには、悪魔が必要なんだと思います。」
 丁度、リーマンブラザースが破綻しました。これが、世界恐慌の最終的な引き金となって、世界大戦につながるという、悪魔の終末のシナリオがいよいよ本格的に始まろうとしています。それをどうやって回避するかが、喫緊の私たちの最大の課題だろうと思います。

「佐々木という系統は、時代に警鐘を鳴らして、いよいよ駄目だと言う時に最後の鐘をつく役割なんです。」と七沢さんは言います。実は高濱家も、七沢さんも、佐々木の系譜だといいます。

「日月神示」によると、もう九分九厘駄目だという絶望的な状態の中で、最後の一厘に神の摂理が隠れているといいます。今、その一厘の仕掛けの役者がそろってきたようにも感じます。

何はともあれ、つくづく師に恵まれた人生だと感謝して、まずは、目先の戦に行ってまいります。

二〇〇八年九月