「このままじゃ、お父さん、死んじゃうよ」
と、いわきの親戚から電話がはいり、私は、朝早くたたき起こされ、妻にひき連れられて実家の震災ボランティアにやってきました。
それにしても、家がほんの少し傾いたものの、暮らすのには問題がなく、敷地の土留めや車庫の土台が崩れているだけなので、無理せずゆっくりやればいいのに・・・・。義父は、ほとんど意固地モードで、黙々とひとりで復旧作業をやりつづけ、挙句の果てに、怪我したの、食事がのどを通らないと言ってやせ細り・・・・。
わざわざ感情ゲームして周りを巻き込んで、自滅コースたどらなくっていいのになぁ・・・。
幸せの唯一最短コースはあらゆる執着を捨てることでっせ・・・。執着は愛じゃないから。
とはいえ、私達が到着したら、途端に機嫌もよくなって、よく食べてました。こういうのが、ちまたで言われる「心のケア」ってやつなんででしょうか・・・
いわきに来て、親戚がボランティアを頼んだらとても助かったというのを聴いて、じゃあ、うちもお願いしてみようということになりました。
とはいえ、私達が到着したら、途端に機嫌もよくなって、よく食べてました。こういうのが、ちまたで言われる「心のケア」ってやつなんででしょうか・・・
いわきに来て、親戚がボランティアを頼んだらとても助かったというのを聴いて、じゃあ、うちもお願いしてみようということになりました。
昨日は、5人きてくれ、コンクリート片の撤去作業をやってくれました。
今日は、一件の家に、何と総勢30名も来てくれました。車のナンバーを見ると、神戸、長野、山梨、横浜、川崎、品川、練馬、・・・・・・何と、奄美から来た人もいるらしいです。
凄すぎる・・・・。
私が最初に被災地に入った3日間で、宮城ナンバー以外の車は一台も見ませんでした。「やめた方がいい」という有難いメールも何度ももらったし、私を受け入れた被災者達は、ボランティアという存在を知らず、周囲からは、「きっと騙されるからやめた方がいい」とまで言われていました。なんとも、隔世の感が・・・・・・。
私が牡鹿半島に行ったのは、被害が一番甚大に違いないと思ったからでしたが、結果、福島に入れなかったのは、かなり後悔していました。特に、放射能被害で、福島にボランティアに来る人が少ないと聴いていたので、心痛めてました。本当にありがたいです。
深尾一絵さんからメールが届きました。
また、深尾さんの友達のたけちゃんは、引越しプロジェクトやってます。
また、高校生の娘さんのはるかさんたちの活動は本当に感動ものです。ぜひ、ブログ読んでみてください。
米沢を拠点にボランティアをしている丸山弘志さんは、気仙沼の大島に通っていますが、現地は、まだまだ壮絶な状況のようです。
それぞれ、自分が出来ること見つけて行動するのは、本当に素晴らしいです。
さらに言うと、
このあいだ、よりあいに来ていたアキママ(mixi:aki-mama)は、地震をきっかけに、さっと銀座の店をたたみ、故郷の九州に戻って自給自足の村づくりを始めたそうです。命のかての九州支部ができるかもしれません。
私はというと、
長距離ドライバー兼農作業員兼よろず何でも屋と、ややお疲れモードですが、漁業復興プロジェクトの骨格ができ上がってきて、ちょっとほっとしています。ついでに、ゴールデンウィーク中に千葉で大きな地震があるといううわさがあるらしいですが、私は言いました。
「これからは、事前に予測出来ることは起こらないけど、予測できないことは起こると思うよ。」