さっき、オリンパスの旧経営陣が会社から訴えられたというニュースを見て、かつてそこの経理部で働いていたうちの妻はいいました。
「悪いのは、もっと前の経営者達だよ。」
私は、
「いや、そういう意味では、本当に悪いのは、日銀だろ。」
今、社会がどこに向かっているのか?
一言で言えば、富と権力の集中といってしまっていいでしょう。
1980年代、一億総中流と言われた時代がありましたが、あっという間に、日本は世界有数の格差社会になってしまいました。なぜそうなったかは明らかで、バブルとその崩壊を経て、構造改革という言葉がもてはやされ、自由競争が賛美され、従業員より株主が大事にされるようになりました。また、派遣法の改正によって、非正規雇用者が激増したこと、デフレによって、賃金が低下をたどったことも大きな原因と言えます。さらに、このバブルの形成と崩壊は、日銀の金融政策によって意図的に起こされたと言ってよいでしょうし、一連の構造改革路線の政策も、グローバリストの意志に従順な政治家達によって遂行されたと言えます。突然変異と自然淘汰を繰り返して今の生物世界ができたというのが、確率論からは、まったくあり得ないというのと同じように、個人がばらばらに欲望を追求したら、今のような社会になったというは、あり得ないのです。そして、たとえ政権が変わっても、この流れには、何の変化もありません。彼らは、見え透いた茶番劇、三文芝居を演じているだけなのです。政治家の多くは、芝居させられているという自覚すらないのです。
TPPも消費税増税も、その目的は、つまるところ、格差を大きくすること、言葉を変えると、収奪をさらに強めることです。財界が、確実に景気を悪化させるのに、消費税増税を支持する。つまり、彼らは、本当は、景気回復など望んでいないということです。
メディアのキャンペーンによって、増税しなきゃ財政破綻するから、やむを得ないという人がもう5割を超えています。でも、これも嘘で、実際は、日銀じゃなくて、政府が直接通貨を発行して、すべての人の基礎所得を支給してしまえば、財政も経済も国民生活も問題は解決する。何故そうしないのか?答えは簡単で、そうすると、支配と収奪ができなくなるからです。そして、メディアを通じて、専門家と呼ばれる人達を使って、枝葉末節かつ不明瞭なことを延々との述べさせることで、ことの本質を隠して、問題解決方法などどこにもないのだと刷り込み続けます。さらに、一方的に押し付けられた政策の結果なのに、民主主義の社会なんだから、こうなった責任は、自分たちにあると漠然と思わされます。
私たちが向かっている社会では、大多数の人が、仕事も収入もほとんどない、あるいは、いつもリストラに怯えながら、低賃金で来る日も来る日も、一生働きっぱなし。何のゆとりもなく、人と愛をはぐくんで、家族をもつことさえ容易じゃない。無気力がはびこり、心が荒んで、社会に暴力が増えるのは当たり前のことです。ごく稀に、努力や才能で富をもつ人がいますが、そうした人たちの多くも、さらなる競争に巻き込まれて、富を失ってしまいがちです。そして、初めから富のあるところにすべての富が集中して行くのです。
そういう状況で、もっとひとりひとりが愛をもって生きれば、良い社会ができるとか、祈ればきっとよりよい未来がくるといっても、ほとんど救いにはなりません。
幸せや不幸せというのは、あくまで個人の主観、感情に属するものだから、社会の問題と完全に切り離そうという人も少なくありません。確かに、おカネはあっても、あまり幸せそうじゃない人、少なくなかった。その理由は、自然な愛より富を失う不安の方が強くなるからだと思います。
また、「人生で不必要な苦労なんてなかった。」「人生で無駄なことなんて何一つない。」という人もいます。
自分の人生を振り返っても、確かにそうだったと言えます。そして、私は、正直、苦労は買ってでもしたし、経済的にも一度どん底を味わわないと自分は、開花しないと思って、それを実行さえしました。でも、他の人もそれでいいとは決して思えないし、何よりも、社会が良くない方向へ向かっているのだったら、自分のことはおいてでも、良くなるように最善を尽くすのが、自然な人間の姿だと思います。
世界には、すべての人の胃袋を十分満たすだけの食糧があり、すべての人にゆとりをもたらすのに十分なエネルギーもあります。本当は、奪い合う必要は何もなく、すべての人が豊かに暮らすのに、自然を収奪する必要もないのです。
それでも、これからも、格差はさらに拡大し、富と権力はますます集中して行きます。残念ながら、改善される兆しは何一つありません。そして、通貨の混乱や、国どうしの紛争を経て、通貨も国家も統一の方向に向かいますが、行きつく先は、人類がひとつになった平和な社会ではなく、完全隷属の社会なのです。