子供の頃、勉強はよくできました。すっごい田舎に住んでいたので、教育環境は良くなかったけど、中学校の時は郡市で一番だったので、「神童」という噂も、本当にありました。(笑)
一方で、父親の酒乱や借金問題で、家はとっても荒れてました。そして、故郷は過疎で、どんどん人が減っていきました。こういう問題を解決しないといけないって、小学生の頃から考えずにいられなかった。
「きっと、俺は何とかなるだろうけど・・・どうしたら周りを救えるんだろ?」
これが私のテーマでした。ずっと、今も。
貧乏育ちでも、ようやく世間でいういい会社に勤められて、まぁ、何不自由ない生活と言えばそうだったのに、30代で、家族抱えて、突然、仕事やめて選挙出ました。なぜそんなことしたのかと突き詰めて考えると、結局、たまたま少し勉強ができたくらいで、自分だけ恵まれた環境に居ることに、とっても罪悪感があって、漫然とぬるま湯につかっていることに我慢ならなかったからだと思います。結局、三回も落ちる中で、お先真っ暗という状況に何度も陥ったけど、それでも、破綻することはありませんでした。家族にも、さんざん苦労かけてしまいましたが、家庭崩壊もありませんでした。借金苦にもなってないです。まぁ、信用がなかったお陰と言えばそれまでかもしれませんが・・・。
若い人と話す時は、いつもこういいます。
「つまんない私利私欲が動機じゃなかったら、多少の失敗は、結局、痛くもかゆくもなくって、必ず乗り越えられるから、自分がいいと思うことは、どんどん、やってみたらいいよ。」
淡々と行動すると分かってくることは、本当に、成功も失敗も一緒ということです。
そして、周りを助けることって、ほんと難しいですが、今では、無条件に、できることすべてをさし出すようにしています。その中には、事態を打開するために、誰も言わないことをあえて泥かぶって言うことも含まれます。自分には、マイナスにしかならないことが分かっていても、やります。
そうやっても、結果、大したことはできてないんだけど、でも、結局、子供の頃、思っていたように、自分は、確かに、何とかなっていることに気付くのです。そして、やり切った瞬間に開ける世界は、私にとっては至福だったりするのです。
つまるところ、意識が現実をつくっているというのは、まったく事実だと思います。
自分に足りないものを補うために、一生懸命勉強したり、出会いを求めたりする人が少なくありません。人に認められるために、自分に足りないものを補うとか、何か新しい考え方やテクニックを身につけようとしても、残念ながら、ほとんどうまくいかないようです。ほとんど実を結ばないのは、実は、根っこにある「自分には何かが足りない」という意識が現実化しているからなのです。そして、人にそういう意識を植え付けることで、啓発ビジネスをしている人達も、残念ながら、少なくないのです。今の教育システムそのものが、そうなっているとさえ言えるでしょう。
私は、小さい頃から、確かにお勉強はできたけど、それは、社会に出たら何の役にも立たないだろうと、思っていました。そして、自分には、何かを成し遂げる才能も集中力もなかったし、そういう人達にあこがれた時期もありました。無一文からたたき上げて、大きな価値を作り上げる天才やカリスマと呼ばれる人達に憧れがあったので、そういう人達と比較的身近に接することができたと思います。
私は、小さい頃から、確かにお勉強はできたけど、それは、社会に出たら何の役にも立たないだろうと、思っていました。そして、自分には、何かを成し遂げる才能も集中力もなかったし、そういう人達にあこがれた時期もありました。無一文からたたき上げて、大きな価値を作り上げる天才やカリスマと呼ばれる人達に憧れがあったので、そういう人達と比較的身近に接することができたと思います。
もっとも、私の人生の中の決定的な出会いはすべて偶然に過ぎず、自分から求めて会いに行ったことはありませんでした。あのとき偶々そうしなかったら、私の人生は大きく変わっていたに違いないということは、本当にいくつもあります。出会いがないと嘆く人は、出会いがないのではなく、つねに起こっている偶然の出会いに意味を見出して、行動につなげられないだけなんだと思います。
天才やカリスマと言われる人達と接して分かったことは、私との決定的な違いは、才能というよりは、モチベーションだということでした。そして、そのモチベーションの根っこにあるのは、若い頃の大きな喪失体験であって、それを埋めるために必死にもがいた結果だということでした。大きな負荷がかかった環境で、それに逃げずに向き合うと、確かに才能は開花するのですが、それは、言うまでもなく、すべてもとから自分の中にあったものに違いないのです。環境に応じて、誰でも才能は開花するんだと思います。