配達完了
広島に原爆が落ちた時、放射能汚染のために、数十年は人が住めないだろうと言われていました。それでも、愛する土地に残って、またたく間に復興させてしまった人間というのは、本当に凄いし、素晴らしいと思います。
今回、女川町の避難所で一緒の部屋で寝た隅田翔さんは、千葉県出身で、プロのサッカー選手目指して女川町のクラブチームに入りながら、ここの水産会社で働いていました。今は、サッカーは引退して子供達のコーチをしているそうです。とても、いい若者で、水産会社は、壊れてしまったので、石山さんが、秋田で一緒に米づくりしないかとスカウトしました。
「結局、米があれば生きていけるんですよね。」って興味を示しながらも、隅田さんは、ここに残って復興の手助けをしたいと言います。ほんと、故郷でもないのに、頭が下がります。まだ生きてること親に連絡できてないっていうので、私がそれを引き受けました。
人間の行動動機はつきつめるとたった二つしかないと言います。愛か恐れかです。
支配する人は、支配を強めるために、あらゆる方法を使って、人の恐れを増幅しようとします。その最大のポイントは、死と恐怖を結びつけることです。でも、これって、ただの刷り込みに過ぎません。
そもそも、死って、なぜ怖いんですか?
よーく、考えてみてください(笑)
どんなに美辞麗句で覆い隠しても、あなたの恐れや不安は、丸見えなんです。
福島原発の放射能汚染が怖くて逃げたい人は、どうぞ、逃げてください。そして、もう帰ってこなくていいよ。(笑) いつも平気でレントゲンとったり、添加物だらけの食べもの食べたりしてるのに、原発にジタバタするの不思議だな。(笑)
私にも、有難いことに、逃げろというメール、何通も来ました。女川と福島、勘違いしてんのかなとも思います。お言葉ですが、私は逃げずに、最前線に立ちます。それが私の人生です。自分を裏切るくらいだったら、死を選びます。
昨日、大原中学校に避難している人達に、暖かい布団で寝て欲しいと思って、雪のつもった夜のコバルトラインをかなり飛ばして向かいました。もうすぐ到着と思って、仲間の喜ぶ顔を思い描いていると、突然、「通行止め」の看板が・・・・
もう、絶望感です。
こんな吹雪の中、大原中学校は陸の孤島になってしまった。もう、会えない・・・。
打ちひしがれて、コバルトラインを戻って、入口にある女川町第一保育所に行きました。そこに、米を数十キロあげて、泊めてもらうことにしました。250人程避難しているところですが、記帳のために、訪問者のリストをみると、上に、山口県の人がいます。いったい、どうやってきたんだろ?世の中、本当に捨てたもんじゃないです。
朝になると、掃除が始まり、ラジオ体操の音楽が流れます。女性達は、テキパキと食事を作り出します。厳しい状況の中でも、いい雰囲気です。
私は、だらだらグループになって、ここの水産会社で働いていた中国人の安さんから、お茶頂いて、拾ってきた缶詰を御馳走になりました。どこの避難所でも、ないないづくしの中、最大のおもてなしをしてくれます。それだけ、助けに来てくれるのが嬉しいんだと思います。
石山さんは、隅田さんに案内されて、友人を探しに行きました。そして、無事にあえて、嬉しそうに戻ってきました。
それから、もう一度、大原中学校を目指すことにしました。昨日、通行止めだったのは、夜間の危険防止のためかも知れないからです。
もう一度、通行止めの地点まで行きました。でも、やっぱり解除はされてませんでした。そこにいた工事業者の人に聞いたら、昨日、土砂崩れが発生したとのことでした。でも、その代わりでもないですが、海沿いの道路が復旧したということをおしえてくれました。
そして、一日遅れちゃったけど、無事に大原中学校に到着しました。
「えーーー、佐々木さん、また来てくれた!!」
「自衛隊、何かもってきた?」
「昨日は、毛布を多めにくれたよ。」
「でも、俺は、敷布団もってきたよ。」
「わーーーー、一番寒い時に一緒に寝たもんね」
急いで皆で運び出します。防寒になりそうな服も、石山さんや黒瀬さんがあわててみつくろって入れてくれましたが、女性や子供達が、嬉しそうに試着し出します。普通、災害地に古着を送ると、実際は迷惑がられるのですが、今回ばかりは違います。
彼らは、お返しにと言って、破壊された養殖場からもってきた見事なアワビをくれました。物々交換の世界は楽しいです。今晩の酒の肴にします。テレビで、「邪魔になるから行くな」とコメントしてるNPO関係者って、可哀そうだなって思います。真心には、真心が返ってくるのは、当たり前のことです。
それから、この間お世話になった渡波の消防団の鈴木巻生さんのところに行きました。石巻生まれの巻生さんです。自治体からの配給は、少しよくなって一日おにぎり一個になったと言ってました。顔は完全にやつれて、それでも、ガレキの撤去作業を黙々とやってます。米をかなり大量に差し上げたら、涙ぐんでいました。
帰り道、石山さんは、「こんな貴重な体験は、人生で滅多にない」と言ってます。
神戸で震災にあった私の友人は、かつてこんな風に言ってました。
「不謹慎なんですけど、実は、あの時が人生で一番充実してて、楽しかった。」
皆さんも、どうぞ、現場に行ってください。得難いものが得られます。