原稿

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「マトリックスの真実」「おカネの真実」「空前絶後の社会運動」「志の世界」「大震災の前線」「右傾化選挙の中で」
世の中の根本的な仕組み、神とは、支配とは、おカネとは、社会とは、人間とは、・・・根源から、そして、前線から、書きました。
読んで面白いと思った方は、どんどん転送やコピー配布をして頂ければ幸いです。


2011/08/10

空前絶後の社会運動 その九 元原稿


政治の現実

 これは、講演ではときどき話していることですが、二〇〇四年一月の民主党の党大会で、当時も代表だった菅直人さんは、このように演説しました。
「私たちが目指すべき社会のモデルは、江戸時代にあると言えます。あの時代は、食料を自給し、地方分権が確立していて、環境とも調和した社会でした。そして、これから最も大事なのは、農業なのです。」

 この党大会の後、同じホテルで新人研修が行われ、その後の懇親会は、中華テーブルの形式で行われました。始まる直前まで私の隣の席は空いていたのですが、その時、入口から会場に入ってきて、「ここいい?」と、私に声を掛けたのが菅さんだったのです。何度かあいさつ程度の会話をしたことはありましたが、じっくりと話し込めたのは、これが初めてでした。
「いやぁ、今日の演説は、本当に素晴らしかったです。私の地元は、農業地帯で、大潟村という米づくりで有名なところもあります。」
「実は、そこの話しを最近聴いて、行きたいと思っていたんだよ。すぐに行く、すぐ。」

そして、菅さんは、わずか四日後に本当に秋田を訪れ、それから、小泉首相との党首討論ふくめ、しばらく農業の話しばかりしていました。

同じ懇親会場で、仙谷由人さんとも少し話したのですが、その時、仙谷さんも、こういいました。
「菅の今日の演説は本当に素晴らしかった。事前にじっくり俺と話しこんだのが効いとったな。」

こうした社会感は、出口王仁三郎が描いたみろくの世とさして変わらないと言えます。

でも、彼らは、政権に近づくにつれて、消費税増税やTPPなど、グローバリゼーションに加担する真逆の政策ばかりを推進していきました。最近も、日本の貧困率が過去最悪を記録したという報道がありましたが、こうした政策が続いた結果として起こる現象です。

何度も繰り返しますが、日銀ではなく、政府が直接通貨を発行して、国民の最低所得を保証してしまえば、財政、景気も、何ら問題がなくなります。そして、食料もエネルギーも自給することは可能です。

 支配と権力の本質

 二〇〇五年九月一一日、郵政選挙で敗北した後、少ししてから、秋田の温泉に菅さん夫妻が遊びに来ました。気心の許せる人達の集まりだったので、宴席も、楽しいものでしたが、そこは、私にとっては、決意表明の場でもありました。
「三度目も出ます。たとえ公認もらえなくて、無所属でも。」
菅さんの前で、私はそう言いました。

それからは、本当に茨の道でした。公認がないため、収入もない、仕事にも就けない状態が続きます。それでも政治を続けるために、私は、起業をしました。もともとおカネに執着できない性格なので、事業にはまったく向かない人間だと自分で思っていましたが、他に方法はありませんでした。

さらに、党からの公認なしで、出馬するというのは、除名を意味しました。その出馬の記者会見は、私の人生の中で、一番勇気を必要とするものでした。会見では、
「失礼ですが、供託金は払えるのですか?」と若い記者から質問をされました。実際、その段階で、おカネの目途はなかったのです。

何も報いがないことが分かっているのに、すべてを投げうって、最後の選挙に出ました。すべて終わった時、はっきりと分かったことがひとつだけありました。自分は、ずっと権力と闘い続けてきたけど、権力っていうのは、自分の中にある恐怖心以外の何物でもないということでした。この恐怖心の壁を破り切った時、明らかに世界が違って見えました。

今の政権の中枢にいる人達が、権力にしがみつくのも、真に民のための政治が行えないのも、結局は、自分の恐れという感情から、抜け出せないことが原因なのです。

食とエネルギー

菅さんが大潟村に来てから七年経ちました。私は、地震のあった三月一一日に大潟村に到着し、自分で米づくりを始めました。職業や身分に関係なく、すべての人が自分の食べものをつくることを、みろくの世の社会基盤とすべきだと王仁三郎は考えていましたが、ようやく私もそれを始めることができました。私は、もともと農家出身ですが、家は子供の頃に離農しているので、まったくの素人です。技術な部分は、師匠である石山範夫さんや、田んぼをもっている従兄に委ねざるを得ないのですが、私は、しっかりと労働力になるべく、田植えの後から、草取りを続けました。農薬はもちろん、有機肥料も含めて一切の肥料を使わない自然栽培にしたので、およそ一か月半の草取り作業は、本当にきつい仕事でしたが、何とか無事に終えることができました。すくすくと育つ稲をみているとふつふつと幸せな気持ちが沸いてきます。農業を始めた大きな理由は、若者の働く環境がどんどん悪くなる中で、何とか彼らにやりがいのある仕事をつくりたいということでした。千葉のくりもとで自然野菜をつくっている大庭裕之さんも、秋田に研修に来た近藤嵩さんも、誰もが感心するほど、よく働きます。若者が誇りと生きがいをもって農業に取り組む姿は、本当に感動的です。こうした志ある若者が核となって、だれもが安心して、働いて食べて眠れるコミュニティが育っていき、さらに、地域の食をまかなって行くことができれば、それがまさに、「みろくの世のひな型」と言えると思います。

もちろん、今回の原発事故をきっかけに、エネルギーの自給も真剣に目指すべきです。もともと原発の本質は、プルトニウム製造工場であり、自爆装置以外の何物でもありません。そもそも自然エネルギーの量は、無尽蔵と言えるほど膨大にあり、それを電気に変換する技術も整っているので、自然エネルギーだけで、今必要な電力をすべて賄うことに、何ら問題はありません。もちろん、原発をやめたら、経済が悪くなるということも、あり得ないのです。

「恐れ」をすてて、どんどん行動に移していきましょう。その方が、楽で、楽しいです。