ハリスは一八五七(安政四)年十一月、オランダ以外の欧米外交 代表として初めての江戸入りを果たすべく、下田の領事館を発った 。東海道の神奈川宿をすぎると、見物人が増えてきた。その日の日 記に彼は次のように記した。「彼らは皆よく肥え、身なりもよく、 幸福そうである。一見したところ、富者も貧者もない。―――これ が恐らく人民の本当の幸福の姿というものだろう。私は時として、 日本を開国して外国の影響を受けさせることが、果たしてこの人々 の普遍的な幸福を増進する所以であるかどうか、疑わしくなる。私 は質素と正直の黄金時代を、いずれの他の国におけるよりも多く日 本において見出す。生命と財産の安全、全般の人々の質素と満足と は、現在の日本の顕著な姿であ...るように思われる」。
カッティンディーケは言う。(略)
「日本人が他の東洋諸民族と異なる特性の一つは、奢侈贅沢に執着 心を持たないことであって、非常に高貴な人々の館ですら、簡素、 単純きわまるものである。(略) 家具といえば、彼らはほとんど 何も持たない。一隅に小さなかまど、夜具を入れる引き戸つきの戸 棚、小さな棚の上には飯や魚を盛る漆塗りの小皿が皆きちんと並べ られている。これが小さな家の家財道具で、彼らはこれで充分に、 公明正大に暮らしているのだ。ガラス張りの家に住むがごとく、何 の隠しごとのない家に住むかぎり、何ひとつ欲しがらなかったあの ローマ人のように―――隣人に隠すものなど何もないのだ」。
オールコックは大名からその日暮らしの庶民に至る生活用具の簡 素さを描写したあとで、「彼らの全生活に及んでいるように思える このスパルタ的な習慣の簡素さのなかには、称賛すべきなにものか がある」と述べている。初めは日本人の生活の簡便さに皮肉も言っ てみたかった彼が、ここでは厳粛な口調に変わっていることに注意 したい。しかも続けて彼はこう書く。「たしかに、これほど厳格で あり、またこれほど広く一般に贅沢さが欠如していることは、すべ ての人びとにごくわずかな物で生活することを可能ならしめ、各人 に行動の自主性を保障している」。
カッティンディーケは言う。(略)
「日本人が他の東洋諸民族と異なる特性の一つは、奢侈贅沢に執着
オールコックは大名からその日暮らしの庶民に至る生活用具の簡