カミさんが、「あなたは今まで身近な人亡くしたことないでしょ」っていってましたが、まさに。
Dig deep the very place where you stand,
you will find a spring.
東大落っこちて、高校の先生に頼まれてたまたま受けて合格しちゃった外大に入って、五月病かかって、仮面浪人しようとしていた頃、たまたま、国際関係論って授業に出た時に、先生はこう黒板に書きました。私は、それで、ハッと目が覚めた気がして、この大学に居ようって思いました。それから、自分に足かせつけるために、アメフトも始めました。授業も、本当に面白かった。ちょうど、ゴルバチョフがペレストロイカを始めた頃でした。先生が、高校時代に家業が倒産して苦学したってことも、自分にダブらせていました。
大学2年の時は、先生のゼミ旅行に参加したくて、一念発起して朝日新聞でバイトをしまくって、40万円くらいおカネつくって、一緒にヨーロッパ行きました。バイトのために潮留の朝日新聞のビルに何日も連続で寝泊まりして、その年は、単位を落としまくりました。大学卒業してからも、「どうしよう、このままじゃ卒業できない」って、夢でうなされました。
初めての海外旅行、パリからイタリア、オーストリア経由東欧。スーパーで生ハム買って、パーキングエリアみたいなところで、みんなで食べた記憶あります。あの時、初めて生ハム食べて、食感にびっくりしました。ヴェニスもプラハもきれいな街だった。それから、バスでベルリン入って・・・。ベルリンの壁、よく覚えています。それから3カ月して、それ、テレビで壊されるの見ました。まさに、歴史。
当時から李登輝さんと仲良しで、そのつながりでアジアオープンフォーラムというのやってて、私達ゼミ生は運営スタッフやってました。大磯のプリンスホテルでレセプションやって、そこに総理をやめたばっかりの竹下登さんが来た。メディアであんなに悪く言われている人が、こんなに神々しいオーラを発しているのかって、随分と、驚いた記憶もあります。これも私の原体験のひとつ。
まぁ、ゼミ生時代は、ほんとサボリまくって、就職活動のためにゼミを欠席したら、「彼は破門だ」と言われ、謝罪に行ったこともありました。卒論も優をもらえなかった。ははは。
卒業してからも、新年のあいさつにご自宅には時々お邪魔しました。
ある年の新年会からしばらくしてから、突然、私の会社に電話があっていいます。
「あのさ、君から頼まれたアメフト部のためにグラウンドに照明を付ける件、会議で否決されちゃったんだよ。ごめんね。学長の車に電話も付けられないんだから、ほんと、どうにもならないよ」って愚痴ってました。
それから、保守派に足を引っ張られ、学長再任の選挙に敗れ・・・。
しばらくして、私達が再会したのは、秋田でした。その時、私は民主党公認の衆院選候補、先生は、新設された国際教養大の学長。
高見裕一さんに頼まれて、モンゴル国立人文大学の留学生の受け入れ先を探すことになって、とりあえず先生に電話してみたら、10分くらい話して快諾いただき、奨学金含めた引き受け体制つくってくれました。それからわずか3カ月で5人のモンゴルからの留学生が日本に到着。私も学長室で対面しました。満面の笑みを浮かべた留学生達からもらった感謝の言葉。もう、人生最高の瞬間。
3回目の選挙、民主党の公認とれずに、それでも出るって私が言っても、結局応援してくれました。
「金融崩壊後の世界」、アカデミズムからしたら発禁本みたいな本で、教え子としては恐る恐る送りましたが、「いやぁ、面白かった」と電話をくれ、頑張れよって多額のカンパを振り込んでくれました。
なんだか、なんだか、なんだか。
去年会った時、確かに凄くやつれてました。
気がつけば、今、自分の子供が大学受験してて、私があなたと出会った年齢になっています。
一方で、自分は、あんな存在感には、到底なっていない。
ちょっと浮世離れした空気があって、でも、いつも温かかった先生。
本当にありがとうございました。
ちゃんと次につなげます。